※ネタバレ注意
概要
物語最終盤で自らの闇に呑み込まれた一郎彦が、道端で拾い上げた『白鯨』の本の中に「鯨」という文字を見つけて変貌した姿。
鯨に成り果てた彼は、それまでの怨みや鬱憤を晴らすかの如く、九太を追いつつ渋谷の街で破壊活動を行う。その力は正に絶大で、数多くの大型トラックや自動車を軽々と押し退けては大爆発を起こすほどであり、九太に戦意を失わせた。
その後、代々木体育館で九太と再び対峙。彼を始末しようと襲い掛かるも、その時九太は付喪神に転生した熊徹と一体化し闇の鯨に対抗できる武器を得た上、出現する際に本体である一郎彦が一瞬姿を現わすという弱点を見抜かれてそのタイミングで斬りかかれ、彼の中で肥大化していた心の闇を攻撃され、闇に勝る力の前に成す術なく倒された。
解説
モチーフは『白鯨』に登場するモンスター・モビーディック。故に外見はマッコウクジラ然をしているが、上顎に猪の牙が付いているという異形な姿となっており、自らの在り方を見出せない一郎彦のコンプレックスと、怪物に成り果てて尚猪王山への執着を持ち続ける彼の心情が反映されている。
姿こそ巨大であるが、その核は「一郎彦」という一人間(厳密には彼に存在する「闇」)に過ぎず、核を攻撃された途端鯨は呆気なく消滅した。
彼がこの姿になった理由は、目を通した『白鯨』に登場するモビーディックを闇に囚われた自身に重ね合わせたためである。現に物語中盤で楓が九太に『白鯨』の内容を説明するシーンで「鯨は主人公自身を映した鏡」と自らの『白鯨』に対する解釈を述べている。即ち、鯨は本作に於いて人間の心の闇を象徴した存在であるといえる(実際楓は鯨に変貌した一郎彦を「報復に取り憑かれた人間の闇そのもの」と指摘している)。
故に鯨が倒されるシーンは、己の弱さに負けて人間ともバケモノとも言えない凶悪な怪物に変貌した一郎彦と、弱さを受け入れ多くの理解者の助けにより「鯨」という強大な怪物と対峙しても有りの侭の姿でそれを打ち倒した九太との対比を表していると言えよう。
また元ネタの結末は、モビーディックへの復讐に執念を燃やす船長・エイハブが念願のリターンマッチで最終的に多くの船員を道連れにモビーディック共に海底へと沈んでいく、という内容である。即ちエイハブは復讐心故に身を滅ぼしたという解釈が出来、このことから仮に熊徹が助けに来なかった場合の一郎彦と九太の結末は、結局二人とも自らの闇に勝てず共倒れするという凄惨な運命を辿っていたと言える(実際九太は再度鯨と対峙した際に、自らの胸の穴に鯨を一郎彦ごと取り込んでそこに剣を突き刺し彼と運命を共にしようとした)。
本作以外にも細田監督が手掛けた作品には大なり小なり鯨が登場しており、本作の鯨もまたその伝統に沿ったものと言えよう。
尚、本作の二作前の作品でも人間の負の側面を体現した存在がメインヴィランを務め、且つそれを創り上げた人物の願望やコンプレックスが表れているなど、鯨との共通性を感じさせる。