プロフィール
最高学府生まれの競走馬
マキノプリテンダーの故郷は茨城県にある東京大学農学部付属牧場である。北海道静内農業高校生産科学科によるサラブレッド生産実習と同様に東京大学農学部でも授業の一環としてサラブレッド生産実習を行っている。そして幼駒は必ず市場取引に出す事が義務付けられている。年間数頭の生産数ながら生産馬のタケデンフドーは1982年の皐月賞で4着に入り、その後日本ダービーにも出走した。なお、「授業の一環」としての生産のため売却代金の全額が国庫に納入される。
種牡馬アンズプリテンダー
1972年3月14日生まれの栃栗毛馬で海外では29戦6勝だった。アイリッシュダービーでは後に種牡馬として輸入されたグランディの3着に入っている。グランディ同様種牡馬として輸入されたが成績は低調に終わっている。1993年に死亡しているため、マキノプリテンダーと後述するアミノスタローンが生まれた翌年の世代(1頭)がアンズプリテンダーのラストクロップでもある。
略歴
(馬齢表記は旧年齢表記)
3歳時
1995年8月5日に函館競馬場で開催された芝1000mの新馬戦にてデビューも2着。4戦目で勝ち上がり、京成杯2歳S(現京王杯2歳ステークス)で初重賞挑戦も8着に終わる。次走の葉牡丹賞では大塚栄三郎騎手に乗り替わりとなる。
4歳時
自己条件戦を勝ち上がり、3月17日に中山競馬場で開催された若葉ステークスに出走し3番人気で3着。抽選を突破し運命の皐月賞を迎える。この頃から東大農学部付属牧場生まれという珍しい出自から「東大くん」という異名でも呼ばれるようになった。
第56回皐月賞
1番人気はロイヤルタッチで3,6倍と人気が割れた中で8番人気に収まった。勝負服の「白青元禄、袖白」とお揃いの「白青元禄、耳白」のメンコを着用したマキノプリテンダーは大一番に挑んだものの完走することはなかった。向正面で故障を発症し競走中止、予後不良の診断が下された。
遺したもの
マキノプリテンダーとその同期馬であるアミノスタローン(東京シティ競馬で22戦6勝)は、研究としてアミノ酸配合飼料を摂取し、疲労回復度等のサンプルデータを残している。マキノプリテンダーの死が契機となり東京大学農学部付属牧場は研究に理解を示してくれた西山牧場との協力体制を構築。2年後にマキノプリテンダーが到達できなかった皐月賞のゴール板を1頭の馬が1着で駆け抜けた。それがセイウンスカイである。そしてこのアミノ酸入り特別飼料は「アミノエクリプス」という商品となり多くの競走馬を支えている。