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潜水空母の編集履歴2012/02/17 00:46:50 版
編集者:榊の龍
編集内容:大幅加筆。リンクと関連タグ設置。

潜水空母

せんすいくうぼ

航空機を搭載できる潜水艦。計画そのものは各国にあったと言われているが、実際に完成させたのは日本だけである。

イ-四〇〇号

以下「イ-400」と表記する

第二次世界大戦中に開発されたイ号(伊号)は大日本帝国海軍潜水艦として代表的な一つである。

水上攻撃機3機搭載可能な全長122mの大型艦で、

航続力に優れ、このイ-400などは理論上「地球1周半できる」という。

イ号潜水艦は艦隊決戦に先立って主力艦艇に被害を与え、敵戦力を削ぐのが役割である。

経緯

このイ-400はそういった目的の延長で計画された。

目的とはズバリ『従来の潜水艦の航続距離よりも、さらに遠方で敵艦隊を攻撃する』というものである。

計画を進めるうちに「これなら敵本土も攻撃出来るのではないか」という話になり、

1944年12月30日、400号最初の艦である「イ-400」が竣工となった。

大東亜戦争太平洋戦争)の開戦直後から、米国本土攻撃作戦は計画されていた。

攻撃機や風船爆弾などの作戦は実行され、潜水空母が関わる最初の作戦案はパナマ運河攻撃であった。

建造と作戦の計画発案者は不明だが、有力説では山本五十六ではないかと言われる。

45年1月8日、2番艦である「イ-400」も竣工。

両艦ともに度重なる空襲にもめげずに完成し、45年の3月には訓練も終了していた。

しかし肝心の艦載機(特殊攻撃機『晴嵐』)の格納筒は空。

製造工場が破壊され、完成が遅れていたのだった。

さらにこの時点における日本の戦局は劣勢で、列島周辺の制空権・制海権どちらも失っていた。

実戦へ

6月、ウルシー環礁のアメリカ海軍基地への攻撃が決定される。

これに先駆けてイ-13、イ-14がトラック諸島に偵察機を輸送した。(光作戦)

この作戦の最中、巡洋艦インディアナポリス撃沈で密になっていた警戒線にイ-13が接触。

イ-13はあえなく撃沈されてしまった。

イ-14の方は輸送に成功し、かくしてトラック諸島に偵察機が到着したのであった。

これにより、作戦は「8月17日に参加各艦が集合の上で決行」と決まった。

参加艦は残ったイ-14とイ-400、イ-401である。

・・・と、決行を目前にした8月15日に玉音放送によって日本はポツダム宣言受諾が伝えられた。

即ち、終戦である。

こうしてイ号潜水艦の各艦は艦載機(もちろん『晴嵐』の事)などの装備を海中に投棄し、

それぞれアメリカ軍に拿捕されることとなったのである。

接収されたイ-400、401はその後ハワイで標的艦として沈没。

未完成だったイ-402は調査の上、

同じく接収された他の潜水艦(大小23隻)と共に五島列島の沖合で海没処分とされた。

(この23隻の中には、インディアナポリスを撃沈したイ-58も含まれていた)

ソ連に潜水空母の秘密が漏れぬよう、詳しい位置は機密とされた。

現在では、公開された資料と海中調査により潜水艦の位置は特定されている。

長らく封印されてきた、帝国海軍の栄華の墓標である。

現実

潜水空母・イ-400の戦闘力が如何ほどかだったかは、不運にも実戦の期を逃し続けたため不明だが、

航空機搭載可能潜水艦という発想は斬新であり、それを開発できた技術は現在でも高く評価されている。

しかし弱点として、搭載機格納の為の大型化が、潜水艦の特徴である「隠密性」を欠くこととなった。

Uボートが活躍した第一次世界大戦期と違い、対潜の哨戒機や哨戒艦、レーダーなどは格段に進歩し、

並みの潜水艦ですら見つかり易くなった時代で、大型化の対策は手付かずのままだった。

また、搭載機発進には、潜水艦を海面に浮上させて格納庫から搭載機を甲板に出し、

装備を組み立てて発進させた。

収納の場合は潜水艦のそばに着水して小型クレーンで回収し、装備を取り外して格納した。

手間がかかる上、この間に敵に発見される恐れは十分あり、実際に運用できたかは疑問視されている。

その後、冷戦の中で巡航ミサイルや弾道ミサイルを搭載した大型潜水艦が開発され、

図らずも潜水空母の形は米軍に受け継がれることとなった。

また、実戦では活躍できなかった潜水空母も架空戦記ゲームの中では活き活きと活躍している。

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