概要
司馬遼太郎「(爆発‐‐)であった。 余談ながら、日本に初めて兵器としての火薬がもたらされたのは元寇のころである…」
(「爆発音がした」コピペより抜粋)
この場合、メインは目の前で起きている「爆発」という現象なのだが、続く文章はなぜか「火薬」という爆発物の材料と「元寇」という歴史的事件に話題がシフトしている。
このように、『間接的には関連してるだろうが直接には関係がない』話題やそれを展開することを余談という。
余談をかます前振りとして、他にも「話は逸れるが」や「ちなみに」などがある。
特徴
「余談だが」及びそれに類似する「ちなみに」といった用語と合わせて、重要性の高い本筋との違いが明確化されることが多い。
会議や演説のように、事前に本筋となる内容を定めて情報を伝えていくにあたり、思い立って伝えたいことを述べる場合に用いられている。
逆に雑談のように、深く考えず思いついたことをその場で伝えていく場合は、本筋のはずれようがないとして、発生しないようになっている。
長所
重要性の高い「本筋」と重要性の低い「余談」が組み合わさることで、話の中にメリハリが発生する。
本筋の情報が伝えられた聞き手が、話を聞くという行為から一旦気を緩めつつ、余談の中の補足を交えて本筋の情報を整理するうえでは、有効となる会話方法の一種だとされている。
他にも「専門的・マニアックな話題の注釈」、「特定の話題に奥行きを設ける」、「時間等が余る場合での引き延ばし」といった効果が見込まれる。
ただし、用法と用量を守る場合、だが。
短所
話の本筋をはずれるため、本筋のみを重視する場合には邪魔な要素となる。さらに、多用または熱中が過ぎれば、話の本筋をおろそかにしているとして、かえって情報が伝わりにくくなる要因にもなりうる。
「余談であることを前提に伝える」という程度の情報ならば、むしろ何も述べない方がいいという場合も考えられる。
だって平たく言うと脱線だもの。
悪ノリが過ぎてタガが外れたことに気付かないとマンスプレイニング扱いされたり、「すこぶるどうでもいい」と白けられることもある。
受け取り手の愛想が尽きる前に止めよう(諌め)。
一番イタいのは、雑学をひけらかすことに熱中しすぎてその人だけの独演会が延々と続いてしまうこと。
信者でもない限り周囲の人には地獄なんだから目を覚ませ(迫真)。
また、これらの合間に良かれと思って差し込んだ冗談(=あからさまな釣り表現など)がマジネタと誤解され、数々のトラブルを生んできたのもまた事実。上記にもある通り、直接は関係ない話題として展開したものが妙な化学反応を起こしてしまい、メインテーマとゴチャ混ぜになって支離滅裂になった事例の遠因となるケースも多々あり。
最悪、空気読めない奴と非難され、デマ情報を発信したとして発信者の人間性を問われるまでに発展する、なんてケースも。
文芸界隈では、たまに本編ストーリーを置き去りにして余談ばかりで数ページ〜数十ページを跨ぐ行為をする作家も多数おり、さらにひどい時には個人的な持論にシフトしていることも。これらは常軌を逸するレベルになると字数稼ぎやひとりよがりといった批判を受ける。
なぜか評論や雑誌記事などでもたまに見られる現象だが、往々にして低クオリティ扱いされるのがオチ。
すべては「過ぎたるは及ばざるが如し」というのが心理である。
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司馬遼太郎…前述のように「余談ながら‐」が常套句の作家。