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和田光司の編集履歴

2022-10-08 01:31:43 バージョン

和田光司

わだこうじ

日本のミュージシャン(故人)。デジモンの主題歌担当で有名。

人物

1974年1月29日生まれ、京都府福知山市出身。


1999年4月23日に『デジモンアドベンチャー』の主題歌「Butter-Fly」でデビュー。

以降、『デジモンシリーズ』の数多くの主題歌や挿入歌を担当し、一部無関係のタイアップ曲もあるが、本人曰く仕事の大半はデジモンだという。そのため「デジモンシンガー」と言えば彼という印象を持たれる事も多い。


デビュー前、送ったデモテープを聞かれることなく捨てられてしまったことがあったなど、プロとして活動する前は多くの挫折も経験した。しかし別の関係者がそれを拾いあげ、採用したことが和田のデビューのきっかけとなったという。

「FIRE!!」の歌詞にある「ゴミ箱を飛び越えた先にある未来」とはこの時のエピソードを作詞家が取り入れたものである


『デジモンアドベンチャー』から『デジモンフロンティア』までの主題歌や挿入歌を担当していたが、歌手にとっては致命傷とも言える上咽頭がんが判明。下手をすれば数年生きられないと診断され、一時は表舞台を去る。


一時は声が出なくなったが、2005年に復調しインディーズとして活動を再開。

よって『デジモンセイバーズ』放映開始時は、和田が癌闘病後、表舞台では復帰していなかったこともあって担当しなかった。

しかし、ファンからはデジモン主題歌への復帰の要望が殺到。当時メジャーとは距離を少し置いていた和田と公式サイドがこれらの声を受けて実現に向けて動き、結果後期OPより一度目のメジャー復帰を果たす。

この後期OP『ヒラリ』は復帰を後押ししてくれたファンへのアンサーソングとして、和田自身が作詞を行った。


2010年には『デジモンクロスウォーズ』で挿入歌を多数担当。主題歌こそ一度として担当しなかったが、作品のデジクロスシーンを彩った。順風満帆に見えたが、番組後半となる2011年に癌の再発が発覚。

そのためか後期はデュエット曲が中心となり、本作での担当を最後に再び闘病生活に入る。


2013年に再度復帰するも癌は完治していなかった

しかし友人の「歌える時に歌って休むべき時は休めばいい」という言葉から、本調子ではないものの復帰を果たす。


2014年に『SOLID VOX(現:HIGHWAY STAR)』に移籍。これが生涯最後の所属事務所となる。

この事務所は影山ヒロノブらと同じ事務所であり、歌手仲間はしばしばその不屈の精神でライブに立つ姿を称賛していた。


先の通り2003年2010年の二度に渡るの発症を乗り越え、一度は声すら失う程だったのにもかかわらず、それでも奇跡的な精神力で活動を継続していた。

この事から、代表曲になぞらえて「不死蝶のアニソンシンガー」と呼ばれていた。


逝去

しかし『デジモンアドベンチャーtri.』が展開中だった2015年、体調不良を訴え再度休養。

さらなる癌の再発(上咽頭癌)が発覚する。自宅療養中の2016年4月3日、42歳という若さで逝去した。


晩年は幾度の手術に辟易として、自然療法に切り替えていたという。

また死去の前日までシティーハンターの話題を話すなど、明るくツイートをしていた。

所属していたSOLID VOX(現:HIGHWAY STAR)では2022年現在もプロフィールが掲載されたままで、逝去までの奮闘が綴られている。

またpixivではその功績と名誉を称えた特集が組まれた。


きっと飛べるさデジモン Butter flyゴキゲンな蝶になって和田光司

和田光司さん、今までありがとうございました。


彼の魂は今もなおデジタルワールドの世界でデジモン達と共に生き続けている事だろう…………


関連タグ

邦楽 ミュージシャン歌手

デジモンシリーズ:主題歌担当多数

トランスフォーマーカーロボット:主題歌「炎のオーバードライブ」の担当

???:ネタバレなので伏せておくが、名前がButter-Flyのサビと同じなためネタにされている。


外部リンク

『HIGHWAY STAR』公式サイト内プロフィール

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