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藤原山蔭の編集履歴

2023-03-02 16:54:12 バージョン

藤原山蔭

ふじわらのやまかげ

藤原山蔭とは平安時代前期の公卿。

概要

藤原高房の次男、官位は従三位、中納言左大臣藤原魚名の子孫。


経歴

天長元年(824年)に誕生、天安2年(858年)に従五位下、美濃守・備前守などの地方官を歴任し貞観17年(875年)に蔵人頭となる。その後右大弁となり元慶3年(879年)に参議に就任。仁和2年(886年)に中納言、翌年の仁和3年(887年)に民部卿となった。


人物

今昔物語

今昔物語において山蔭が助けた亀に山蔭の子が助けられる話がある。


四条流

山蔭は四条流という包丁の作法の創始者でありその作法は四条家に受け継がれている。


子孫

山蔭の孫娘時姫関白藤原兼家と結婚して道隆道兼道長超子詮子の母となりその子孫は皇室及び摂関家にも受け伝えている。


紫式部も山蔭の女系子孫である。


仙台藩伊達氏も山蔭の子孫と称した。


関連タグ

平安時代 藤原氏 藤原北家 公卿

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