本姓
概要
藤原家成の長男隆季が始祖で隆季が四条大宮に邸宅を構えたことで四条を称した。隆季の子隆房は歌人で有名で妻は平清盛の娘で隆衛を産む隆衛は後鳥羽天皇の近臣、隆衛の子隆親は次男隆顕に家嫡としていたが、不和になったことで長男房名に相続させた。四条家は二流に分裂した。
隆顕の孫隆資は南朝方で八幡の戦いで戦死、隆資の子隆俊は南朝で内大臣に就任したが子供がいなかったことで断絶した。
房名には子がいたが四条家の一族である隆名が相続、5代孫の隆量の子が早世したことで名家中御門家から隆永を迎えた。隆永の孫隆益が亡くなったことで一時中絶したが冷泉為益の隆昌が再興した。幕末の当主隆謌は尊王攘夷の公卿であり八月十八日の政変によって長州に逃れた。(七卿落ち)その後戊辰戦争に加わり功績よって陸軍中将に任じられる。1884年(明治17年)に華族令施行では伯爵に叙爵し、1891年(明治24年)に侯爵に叙爵された。
歴代当主
本家
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 藤原隆季 | 大治2年(1127年) | 藤原家成の長男 |
2 | 藤原隆房 | 久安4年(1148年) | 隆季の長男 |
3 | 四条隆衡 | 承安2年(1172年) | 隆房の長男 |
4 | 四条隆親 | 建仁2年(1202年) | 隆衡の次男 |
5 | 四条房名 | 寛喜元年(1229年) | 隆親の長男 |
6 | 四条隆名 | 不詳 | 隆季の曾孫隆朝の男子 |
7 | 四条隆宗 | 不詳 | 隆名の男子 |
8 | 四条隆郷 | 嘉暦元年(1326年) | 隆宗の男子 |
9 | 四条隆直 | 延文2年/正平12年(1357年) | 隆郷の男子 |
10 | 四条隆盛 | 応永4年(1397年) | 隆直の男子 |
11 | 四条隆量 | 永享元年(1429年) | 隆盛の男子 |
12 | 四条隆永 | 文明10年(1478年) | 中御門宣胤の男子 |
13 | 四条隆重 | 永正4年(1507年)10月 | 隆永の男子 |
14 | 四条隆益 | 享禄4年正月19日(1531年2月6日) | 隆重の男子 |
15 | 四条隆昌 | 弘治2年(1556年) | 冷泉為益の男子 |
16 | 四条隆術 | 慶長16年5月25日(1611年7月5日) | 隆昌の男子 |
17 | 四条隆音 | 寛永14年3月14日(1637年4月9日) | 隆術の男子 |
18 | 四条隆安 | 寛文3年5月14日(1663年6月19日) | 山科言行の男子 |
19 | 四条隆文 | 元禄2年6月22日(1689年8月7日) | 実光の三男 |
20 | 四条隆叙 | 享保15年11月9日(1730年12月18日) | 正親町公通の七男 |
21 | 四条隆師 | 宝暦6年8月3日(1756年8月28日) | 中山栄親の男子 |
22 | 四条隆考 | 天明元年6月6日(1781年7月26日) | 隆師の男子 |
23 | 四条隆生 | 寛政4年12月1日(1793年1月12日) | 醍醐輝久の次男 |
24 | 四条隆美 | 文化12年3月10日(1815年4月19日) | 隆生の長男 |
25 | 四条隆謌 | 文政11年9月9日(1828年10月17日) | 隆生の次男 |
26 | 四条隆愛 | 明治13年(1880年)6月8日 | 隆謌の九男 |
27 | 四条隆徳 | 1907年(明治40年)4月3日 | 隆愛の長男 |
分家
代 | 氏名 | 生年、誕生日 | 続柄 |
---|---|---|---|
1 | 四条隆平 | 天保12年4月21日(1841年6月10日) | 四条隆生の三男 |
2 | 四条隆英 | 1876年(明治9年)2月26日 | 二条斉敬の四男 |
3 | 四条隆秀 | 大正3年(1914年) | 隆英の長男 |
4 | 四条隆貞 | 大正7年(1918年) | 隆英の次男 |
5 | 四条隆元 | 昭和20年(1945年) | 隆貞の長男 |