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概要

権大納言四条隆生の三男、母は家女房。四条隆謌は兄であり養父である。爵位は男爵


経歴

天保12年(1841年)4月21日に誕生、慶応2年(1866年)に廷臣二十二卿列参事件に加わり処分を受ける。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では北陸道鎮撫副総督として進軍。その後は柏崎県知事、越後府知事や若松県知事、五条県知事に就任した。その後は四条家本家から分家を興し明治31年(1898年)に男爵に叙爵。翌年の明治32年(1899年)に醍醐忠敬が甥の格太郎に射殺された事件では格太郎を取り押さえた。明治37年(1904年)に貴族院議員に当選、明治44年(1911年)7月18日に死去。


家族

血縁上は後陽成天皇の第九皇子一条昭良の男系子孫。


後陽成天皇一条昭良醍醐冬基冬熙経胤輝久四条隆生四条隆平


妻は広幡繋子(広幡基豊の娘)、養子に四条隆英二条斉敬の子)


関連タグ

公家 四条家 男爵

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