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小川博の編集履歴

2023-03-12 20:44:06 バージョン

小川博

おがわひろし

日本の元プロ野球選手。千葉ロッテマリーンズに所属した。

概要

日本の元プロ野球選手。

1962年4月2日生まれ、栃木県足利市出身。


高校時代から投手として頭角を現し、青山学院大学を経て、1984年のドラフト会議でロッテオリオンズ(後に千葉ロッテマリーンズ)に入団。

1988年には204奪三振を記録し、これは当時のパ・リーグ最多記録であった。

イケメンと評判であったことから女性ファンに恵まれ、アイドル的な扱いを受けた。


このように順風満帆だった小川であるが、翌1989年に右肩を故障したことで暗転する。

1990年には復活の兆候を見せたものの、1991年に再度右肩を故障してからは登板実績がなく、1992年限りで引退。

以降はコーチとして球団運営を支えた後、2002年に金銭トラブル(後述)を理由に解雇された。


逮捕

全盛期の小川は浪費癖が激しく、毎晩のように銀座のクラブなどに通っては豪遊していた。

右肩の故障後はストレス発散のためにギャンブルにも目覚め、その金遣いの荒さは選手を引退しても直らなかった。


更に二度の離婚による慰謝料や子供の養育費、住宅ローンがのしかかったことで生活は破綻。

コーチ引退後の2003年には埼玉県の民間企業に就職するが、同年に1,750万円の借金を抱え自己破産した。

それでも派手な生活がやめられず、母親に無心して貯蓄を丸ごと消した他、複数の知人にも個人的に借金をしていた。


そして2004年11月18日、闇金融からの借金返済に困窮した小川は、勤務先の会長宅に金を無心しに訪れた。

会長は不在だったため、代わりに応対した67歳の家政婦土下座して4万円をねだるも、当然ながら断られてしまう。

これに逆上した小川は家政婦を突き飛ばして気絶させ、車で拉致して川に沈めて証拠隠滅を図った。


後日、家政婦の遺体が川から発見されたことで事件が発覚。

2004年12月21日に小川は逮捕され、裁判では控訴棄却により無期懲役判決が下った。

現在は千葉刑務所に服役している。


余談

  • 彼が愛用していた背番号26は永久欠番となっている。表向きはファンナンバー(ファンのための背番号)という理由だが、実際は小川が起こした事件の影響ではないかと言われた。
  • 現役時代の愛車はポルシェ911
  • 日本において殺人を犯したプロ野球選手は、2023年現在で小川のみである。このため全盛期の華々しい実績とは裏腹に、表立ってその存在が語られることは少ない。

関連項目

プロ野球 千葉ロッテマリーンズ 貧すれば鈍する

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