概要
日本の元プロ野球選手。
ポジションはピッチャー。
群馬県立前橋工業高校時代から頭角を現し、甲子園に3回出場。群玉(群馬の玉三郎)と呼ばれる人気球児だった。大学では当時弱小だった青山学院大学を強豪に押し上げ、1984年のドラフト会議でロッテオリオンズ(後に千葉ロッテマリーンズ)に入団しプロデビュー。
1988年には当時のパ・リーグ最多記録である204奪三振を記録し、オールスターゲームにも出場。
また、イケメンと評判であったことから女性ファンに恵まれ、アイドル的な扱いを受けた。
このように順風満帆だった小川であるが、翌1989年に右肩を故障したことで暗転する。
1990年には復活の兆候を見せたものの、1991年に再度右肩を故障してからは登板実績がなく、1992年限りで引退。
以降はコーチとして球団運営を支えた後、2002年に金銭トラブル(後述)を理由に解雇された。
逮捕
全盛期の小川は浪費癖が激しく、毎晩のように銀座のクラブなどに通っては豪遊していた。
右肩の故障後はストレス発散のために競馬やパチンコにも目覚め、選手引退により収入が減少すると収支が破綻。
この頃から複数のチームメイトに借金をしており、球団に借金取りが来たとも報道された。
更に二度の離婚による慰謝料や子供の養育費、住宅ローンがのしかかったことで生活は困窮。
ロッテ退団後の2003年には埼玉県の民間企業に就職するが、同年に1,750万円の借金を抱え自己破産した。
それでも派手な生活がやめられず、母親に無心して貯蓄を丸ごと食いつぶした他、闇金融から相変わらず借金をしては豪遊を続けた。
そして2004年11月18日、借金の返済期限を目前に焦った小川は、勤務先の会長宅に金を無心しに訪れた。
しかし会長は不在だったため、代わりに応対した67歳の家政婦に土下座して4万円をねだるも、当然ながら断られてしまう。
これに逆上した小川は家政婦を突き飛ばして気絶させ、現金175万円を奪ったうえで車で拉致して川に遺棄し、証拠隠滅を図った。
後日、家政婦の遺体が川から発見されたことで事件が発覚。
無計画な犯行だったため足がすぐに付き、2004年12月21日に小川は逮捕され、裁判では控訴棄却により、強盗傷害致死罪及び遺体遺棄罪という罪状で無期懲役判決が下った。
現在は千葉刑務所に服役している。
この事件により、引退後のプロ野球選手及びプロスポーツ選手のセカンドキャリアの在り方を改めて考察させられるきっかけにもなってしまった事件であったのは言うまでもない。
余談
- 彼が逮捕される前は、太く短い野球人生だったとその実績を込めて評価されていた。
- 彼が現役時代につけていた背番号26は、2005年に千葉ロッテの「事実上の永久欠番」となった。表向きはファンナンバー(ベンチ入り25人の選手に次ぐ「26人目の選手」という意味でのファンのための背番号)という理由だが、実際は小川が起こした事件の影響ではないかと言われた。
- 現役時代の愛車はポルシェ911。
- ジャパンにおいて殺人を犯したプロ野球選手は、2024年現在で小川のみである。このため全盛期の華々しい実績とは裏腹に、その存在が表立って語られることは極めて少ない。
関連項目
ザ!世界仰天ニュース:2022年2月22日の回にて、小川の転落人生を描いた再現ドラマを放送した。