概要
露英関係(ろえいかんけい、ロシア語:Российско-британские отношения、英語:Russia–United Kingdom relations)は、ロシアとイギリスの国際関係の事である。両国は議院内閣制の立憲君主国・半大統領制の連邦共和国という異なる政体を有する一方で、同じ核保有国・国際連合安全保障理事会常任理事国である。リチャード・チャンセラーはロシアを訪問した最初のイギリス人であり、1553年8月にアルハンゲリスクに辿り着き、これはロシア皇帝のイワン4世に報告された。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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ロシア連邦 | 半大統領制 連邦共和国 | ウラジーミル・プーチン | 1712万5191平方キロメートル | 1億4718万2123人(2021年10月) |
イギリス | 議院内閣制 立憲君主国 | リシ・スナク | 24万2495平方キロメートル | 6708万1234人(2020年6月) |
歴史
初期・ロシア帝国
1553年8月に外交関係が樹立され、1556年3月にオシップ・グリゴリエヴィッチ・ネペヤが最初の駐イギリス大使となった。1807年9月にロシアとイギリスは交戦し、1803年5月に発生したナポレオン戦争では同盟関係にあった。しかし1853年10月に発生したクリミア戦争の間に、既にイギリスはオスマン帝国・フランス・サルデーニャ王国と同盟関係になってロシアと交戦した。
1899年11月に発生した義和団の乱でイギリス・ロシアが中国での利益を保護する為、他の多くの国に加わったのでアジアでは協力があった。1907年8月にイギリス・フランス・ロシアは3国協商を結成した。1914年7月に第1次世界大戦が勃発すると、イギリスはドイツ・オーストリアに対し、フランス・ロシアの同盟国として宣戦布告した。この同盟関係は1917年3月に二月革命が発生するまで続いたが、同年11月に十月革命が発生して両国関係は緊張した。
ソビエト連邦
1939年9月に第2次世界大戦が発生し、両国は反ヒトラー連合の枠組みの中で協力した。1945年9月にこの戦争が終結した後、同年10月に発足した国際連合の原加盟国の1国となった。1947年3月に冷戦が勃発すると、それぞれワルシャワ条約機構とNATO(北大西洋条約機構)という2つの対立する軍事同盟に属した。1991年12月にソ連が崩壊した後、この年代を通じて主要なロシアのビジネスマンは、ロンドンを拠点とする金融機関と強い繋がりを築いた。
ロシア連邦
2006年11月にリトビネンコ事件が発生し、これに続いて両国関係が緊張した。2018年3月にロシアの元諜報員のセルゲイ・スクリパルとその娘のユリアが暗殺未遂となる事件が発生し、それ以来28カ国が外交官として活動していたとされるロシアの諜報員を国外追放した。2021年6月に黒海でイギリスの駆逐艦であるHMSディフェンダーとロシア連邦軍が関与する事件が発生した。
2022年2月にロシア・ウクライナ戦争が発生した後、2つの核保有国の国際関係は最終的に悪化した。イギリスはロシアに対する制裁措置を実施し、ボリス・ジョンソンは「ロシアの行動は国際法に違反している。」と厳しく非難した。ロシアはイギリスに対する独自の制裁で対応し、セヴァストポリの基地・ノルドストリームのガスパイプライン・クリミア橋に対する攻撃にイギリスが関与していると非難した。イギリスはウクライナに対する財政的・軍事的支援の面で最大の支援国の1国になり、ウクライナに戦闘砲兵システムを提供したヨーロッパで最初の国になった。
ヘタリア
『ヘタリア』のBLカップリングタグとしても使用されているが、国名をそのまま使用するのはジャンル上良くない。同義のタグに「イヴァアサ」があるのでそちらを使用し、更に「腐向け」または「腐向けヘタリア」との併用を推奨する。