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近衛基通の編集履歴

2023-05-02 21:51:58 バージョン

近衛基通

このえもとみち

近衛基通とは平安時代から鎌倉時代の公卿。

概要

近衛基実の長男、官位は従一位、摂政関白内大臣。別名は普賢寺殿。


プロフィール

時代平安時代鎌倉時代
生誕永暦元年(1160年)
死没天福元年5月29日(1233年7月8日
官位従一位、摂政関白内大臣
主君高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族近衛家
父母父:近衛基実、母:藤原忠隆の娘
平完子 (平清盛の娘)、源顕子(源顕信の娘)、他
家実道経、ほか

経歴

嘉応2年(1170年)に元服した、侍従・右近衛少将となり、承安2年(1172年)に従三位、治承3年(1179年)の政変で松殿基房が解任され関白内大臣に就任、翌年の治承4年(1180年)に関白を辞任し摂政となる。寿永2年(1183年)に平家の都落ちに同行したことで摂政を解任されたが後に都に戻り摂政に再任した。文治2年(1186年)に摂政を辞任、建久7年(1196年)に九条兼実の失脚に伴い関白に再任した。建久9年(1198年)から建仁2年(1202年)まで摂政となる、承元2年(1208年)に出家した。


外部リンク

近衛基通 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 鎌倉時代 近衛家

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