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清水エスパルスの編集履歴

2023-05-15 00:16:14 バージョン

清水エスパルス

しみずえすぱるす

静岡県静岡市をホームタウンとするJリーグクラブ。

解説

創設年1991年
加盟年1991年
ホームスタジアムIAIスタジアム日本平
クラブカラーオレンジ
マスコットパルちゃん

1991年創立。

「清水」の名は旧清水市に由来し、静岡市との合併後もクラブ本社と本拠地スタジアムは清水区にある。


1993年にJリーグ開幕10クラブの中で、唯一実業団ではないクラブとして参加した。


Jリーグでは優勝なし(ステージ優勝1回もチャンピオンシップ敗退)だが、ナビスコカップと天皇杯で1度ずつ優勝。

2015年シーズンにJ2に降格してしまうが、2016年のJ2で2位となり1年でJ1復帰を果たす。

しかし2022年11月5日J2降格が決定した。ジュビロ磐田もJ2降格が先に決定した為、2023年は静岡県からJ1クラブが不在と言う事態になった。


度重なる監督交代劇と悲劇

上記の通り、2022年に17位でJ2に降格した。その背景に数多くの監督交代劇が影響してチームのスタイルが確立できなかったことが挙げられるので、整理したい。


2019年。ヤン・ヨンソン監督が指揮していたが、開幕から11試合を消化した時点で解任。後任には篠田善之監督が就任。しかし、北海道コンサドーレ札幌戦でホームの地で0-8の歴史的大敗を喫するなどで苦戦し、残留争いに巻きこまれる。結果、最終節のサガン鳥栖戦で勝利して一気に12位に順位を上げて残留を果たす。この年の失点数は69と、リーグワースト記録だった。


2020年。ピーター・クラモフスキー監督が就任。この年はコロナ禍による特別なレギュレーションとなり、J2への降格は無かった。戦術浸透や才能ある選手の発掘などのチャンスがあった(実際にサガン鳥栖はこれが功を奏し、翌年ACL出場権争いに長く加わり7位で終える)にもかかわらず、11月に残り9試合の時点で監督交代。最終順位は17位。従来なら降格する順位である。複数得点することも多かったが、失点もトータル70と、この年もリーグワースト記録となった。


2021年。前年までセレッソ大阪を率いて上位へ導いたロティーナ監督が就任。守備に定評のある監督を呼び、守備の改善を試みた。しかし、セレッソ以上に戦術浸透に時間がかかり、やはり残留争いに巻き込まれる。結果、残り4試合となったタイミングで監督交代。ロティーナ監督の後継ぎは前年にクラモフスキー監督の後継ぎもした平岡宏章監督。4試合を3勝1分で乗り切り、14位でフィニッシュ。失点数もワーストではなくなった。得点面ではこの年加入したチアゴ・サンタナが総得点の約3分の1にあたる13得点を記録し、海外より帰ってきた守護神権田修一が幾度となくピンチを救った。


2022年。今度は開幕から平岡宏章監督が指揮。しかし、中々勝てずに16節で3連敗を喫した翌日に監督交代。後任はゼ・リカルド監督。すると、夏にセレッソ大阪を退団した乾貴士の獲得などもあって、徐々に調子が上がっていく。そして、一時は11位まで浮上。今年も残留できるだろうと思われた。しかし、後半や終盤での失点グセが大きく響き、9月以降は勝ち無しで一気に降格圏へ沈んだ。最終節北海道コンサドーレ札幌戦まで残留の可能性を残すも、清水は勝利が絶対条件かつ京都とガンバが共に敗北しないといけないという極めて過酷な条件となった。この試合でも2回逆転しておきながら終盤での失点グセは治らず。4-3の撃ち合いの末に敗れ、無条件にJ2降格が確定。なお、チアゴ・サンタナは14得点で得点王に輝き、権田修一はカタールワールドカップの日本代表正GKに選ばれたため、無情にも得点王と日本代表の守護神がいながらJ2降格を喫するという異例の事態になった。


2023年。ゼ・リカルド監督は続投。1年でのJ1復帰を目指すため、乾貴士ら大半の主力が残留。さらには柏レイソルでディフェンスリーダーとして活躍した高橋祐治、名古屋で2021年は大活躍していたが、前年は出番を失っていた守備職人吉田豊らが移籍加入。開幕直前まで権田修一、チアゴ・サンタナ、松岡大起、鈴木唯人の4人の去就が不明に。結果、鈴木がフランスに、松岡がシーズン途中にブラジルへ旅立ち、権田とサンタナは残留した。といったJ2とは到底思えない豪華な面々で2023シーズンを迎えることになったため、2019年の柏レイソルのような独走劇・圧勝劇を繰り広げると当初は思われていたが...


J2リーグ2023シーズンが開幕。開幕から7試合消化した時点で、5試合連続ドロー&その後の2連敗で7戦未勝利と苦しむ。これを受けて清水はゼ・リカルド監督を解任し、5年連続シーズン途中での監督交代となった。後任は水戸ホーリーホックでアツすぎる監督として前年に話題になり、2023年から清水のコーチをしていた秋葉忠宏。




マスコット

「パルちゃん」。

カトちゃんペ

よく『』だの『コアラ』だの言われるが、モデルになった生物はいない。


パルちゃんより一回り小さい『こパルちゃん』が2体いるが、パルちゃんとの関係は不明である。

2012年には、パルちゃんの彼女として『ピカルちゃん』が登場した。

スタジアム

静岡市清水日本平運動公園球技場

(命名権名称、IAIスタジアム日本平)

芝生の手入れの良さは有名で、2008年から2015年までずっとJリーグベストピッチ賞を受賞していた(2016年はJ2のため対象外で、同年限りで賞が廃止)。

ゴール裏スタンドのみ2層式。アウェイ側スタンドからは駿河湾と富士山が一望できる。

このスタジアムへは、ビン・缶はもちろん、ペットボトルも一切持ち込めないので注意。

最寄駅からは相当遠く、清水駅または静岡駅からシャトルバスを利用する。帰りのバスの運行台数は非常に多いので、たとえバスの列は長くてもそんなに待たない。


自動車利用の、オフィシャル駐車場は、2017年よりシーズンシート保持者専用になった。

このため一般利用者は、エスパルスドリームプラザなど清水港周辺に止めて、シャトルバスを利用して向かう。スタジアムに近いところには民間駐車場も多数ある。

問題は民間駐車場から無秩序に車が出るため、シャトルバスの運行路が渋滞してしまうことである。


トップチームの前身

クラブ公式でも触れられていないので、トップチームに前身は無いと思われがちだが実はある


前身は1974年(昭和49年)に設立された2代目・清水サッカークラブ(清水クラブ)であり、設立母体は静岡県サッカー協会中東部支部を兼ねる清水サッカー協会である。


ソースは清水サッカー協会公式サイトの『沿革 昭和23年~49年』と中日新聞東海本社の記事である『あのとき、それから しずおか平成史 Jリーグ(1) 清水エスパルス<上>』である。


清水サッカー協会の沿革のほうには「昭和49年」の項目に「清水クラブ新発足」と書かれている(※ちなみに沿革には「昭和31年 清水クラブ 全国都市対抗3位」とも書かれている。これがピクシブ百科事典のこの記事において前身を『2代目』と形容した理由でもある)。そして、同チームの発足経緯としては後者である中日新聞東海本社の記事書かれている。取材当時の清水サッカー協会副会長によると発足前から高校や大学を出た選手がプロとして働ける場が欲しいとの話し合いがあり、結果、地元有望選手の受け皿を目的に清水クラブが発足した。その後、清水クラブは後に静岡県サッカー協会理事長ともなる堀田哲爾によって小中高生の選抜強化組織である清水FCのトップに位置付けられ、プロリーグ(Jリーグ)入りを推し進められることになる。(この時の清水FCが清水エスパルストップチームの直接の前身であるのは周知の通りである。その後チームはJリーグ発足後に清水FCエスパルスと改称し、1996年に正式に清水エスパルスと改称して今に至る。)


なお、清水クラブから清水FCへと改称したのがいつ頃なのかは具体的なソースがないので割愛させていただくが、少なくとも東海社会人サッカーリーグから降格し、再び静岡県社会人サッカーリーグ1部に在籍し始めた後の時期であるというのはハッキリしている。


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