PAX ROMANA V AVGVSTVS
- ファイブアウグストス
『ローマ帝国が一番ローマらしかった時代』
五賢帝は、その後継者に比較して穏健な政策によって知られる。
時期としては紀元96年の暴君ドミティアヌスの死から、紀元180年のコンモドゥスの登位に至る時期を指し、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの5人の皇帝が該当する。また、トラヤヌスの統治時代がローマ帝国の領土最大期だった。
この時代はセナートスとローマ元首ほか皇帝親衛隊・ローマ帝国軍、総督たちの力関係が二度と来ないほど素晴らしく。ローマ人の十八番の連係プレーが極まったことになる。 これ以降はセナートスも馬脚をあらわすようになり、ローマ元首も無能と独裁色豊かになっていく。他の組織も私利私欲に走る傾向が強くなっていった。
別名『アントニウス家の時代』
この時代は後世の政情不安定な時代のローマ元首にとっては、リスペクトを期待したようだ。
とくに一番平和だった『慈悲深いアントニウス元首』の名前で願掛けをしようとした痕跡が残っているセウェルスなどは自身の一族を『アントニウス家』に固執し、息子をマルクスアウレリウスに名前に変えさせる暴挙にでた(カラカラである)
代 | 名前 | 統治 | 年数 |
---|---|---|---|
12 | ネルウァ(Marcus Cocceius Nerva) | 96 - 98 | 2年 |
13 | トラヤヌス(Marcus Ulpius Nerva Trajanus) | 98 - 117 | 19年 |
14 | ハドリアヌス(Publius Aelius Traianus Hadrianus) | 117 - 138 | 21年 |
15 | アントニヌス・ピウス(Titus Aurelius Fulvius Boionius Arrius Antoninus Pius) | 138 - 161 | 23年 |
16 | マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus) | 161 - 180 | 19年 |
『ローマ帝国が一番ローマらしかった時代』の終焉
マルクスアウレリウスの馬鹿息子のコンモドゥスを持って、一連の有能な元首の時代は終わりを告げる。
そしてこれ以降のローマ元首が『ローマ帝国が一番ローマらしかった時代』を再現しようと試みたが永遠に不可能だった・・・。