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吉田経房の編集履歴

2023-10-05 14:48:44 バージョン

吉田経房

よしだつねふさ

吉田経房とは平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。

概要

藤原光房の子、吉田家の始祖。官位は正二位・権大納言


プロフィール

時代平安時代末期ー鎌倉時代初期
生誕永治2年(1142年)
死没正治2年閏2月11日(1200年3月27日
官位正二位、権大納言
主君近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族吉田家
父母父:藤原光房、母:藤原俊忠の娘
平範家の娘、藤原顕憲の娘、藤原成親の娘
定経時経

経歴

永治2年(1142年)に誕生、最初は蔵人・伊豆守・安房守などに就任し右衛門佐左衛門佐に就任し左少弁左中弁右中弁右大弁左大弁などの弁官を歴任した。養和元年(1181年)に参議、寿永2年(1183年)に従三位、元暦元年(1884年)に権中納言・正三位、建久2年(1191年)に正二位、建久6年(1195年)に中納言。建久9年(1198年)に権大納言に就任した。正治2年(1200年)に死去。


人物

源頼朝とは関係が深く経房の権中納言の就任は頼朝が関わっていたと吾妻鏡に記されており鎌倉幕府から朝廷の奏上と朝廷から鎌倉幕府の伝達は経房が行っていた。


外部リンク

吉田経房 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 鎌倉時代 吉田家 勧修寺流

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