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三洋電機の編集履歴2023/10/31 20:31:31 版
編集者:やっきょ
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沿革

日本電機メーカー。創業者は松下幸之助の義弟である井植歳男

同氏は松下電器産業(現:Panasonic)の創業メンバーの一人であり専務取締役を務めていたが、

1946年に松下電器がGHQから公職追放令を受けたことに伴い、松下幸之助を庇う形で退社した。

翌1947年に井植歳男は大阪府守口市にて個人経営会社「三洋電機製作所」を創業した。

当初は松下幸之助より譲渡された工場で、同じく松下から製造権を譲られた自転車用発電ランプを製造しており、創業から2年間で国内トップシェアを達成した。

創業当初、三洋電機の製品は松下電器からナショナルブランドで販売されていたが、1949年に「三洋電機株式会社」に改組されてからは自社ブランドで直販するようになる。

後に「三種の神器」の一角となる洗濯機を1953年に開発してトップシェアに上り詰めたことで大手メーカーの仲間入りを果たす。

井植歳男が社長から退いた1968年以降も松下電器とは兄弟会社とでも言うべき親密な関係を維持していたが、ビデオ戦争の際には当初松下電器と対立するソニーベータマックス陣営に加わっていた。

後に勃発したBlu-rayHD-DVDの規格争いにおいても当初はHD-DVD陣営の方に加わり、松下電器と対立していた。

パナソニック子会社へ

経営面で苦戦が続いたことで2011年にPanasonicの完全子会社となり、SANYOブランドは「パナソニック」ブランドに統合され消滅。

パナソニックと重複する製品はそのほとんどが生産終了された。事業部も切り売りされ三洋電機は事実上解体したが、2016年以降はインド市場のネット通販に限って「SANYO」ブランドが復活している。

日本では2021年現在でも旧三洋の製品ブランドで残っているのは充電池のeneloop、ポータブルカーナビのgorillaくらいになっている。

三洋の元社員の中にはアイリスオーヤマなどの新興メーカーに転じた人物も多い。変わったところでは元社長の井植敏雅(創業者の孫)は住宅設備メーカーのLIXILの経営に関わっている。

ニッケル水素電池事業は富士通傘下のFDKに、半導体事業はオン・セミコンダクターに、AQUA等の白物家電事業はハイアールに売却されている。FDKはパナソニックが販売しているeneloop電池のOEM製造も担当している。

逸話など

創業から一貫して大阪府守口市に本社を置いていたが、2015年に守口の本社ビルを売却し大阪市に本社を移転している。守口の旧本社ビルは現在、守口市役所庁舎になっている。

自社製造した製品を他社ブランドに供給するOEM契約を広く展開し、トップシェアを持つ製品が数多く存在していたため「縁の下の三洋」とも呼ばれていた。

また、「デジカメ」の商標は三洋電機が保有しており、デジタルカメラのOEM供給元としても世界トップシェアを有していた。この事業部は現在も独立企業として健在で、かつての三洋のデジカメブランド「Xacti」を社名として使っている。

1988年から2006年まで、日本プロ野球オールスターゲームの冠スポンサーを務めている。さらにバドミントン部やサッカー部やバレーボール部やバスケットボール部も有していた。2020年現在はラグビー部(関連会社だった東京三洋電機からの引き継ぎ)が「パナソニック ワイルドナイツ」として活動している。

関連タグ

アニメ:カラーテレビ普及の為に「ジャングル大帝」のスポンサーとなっていたほか、バンダイと共に「蒼き流星SPTレイズナー」のメインスポンサーを務めていた時期があった。

池乃めだか:定時制高校中退後お笑いの道に入るまでここに勤務していた。

三洋物産:もう一つのSANYO。パチンコメーカー。SANYO死すともSANYOは死せず。

山陽電鉄:これもSANYO。

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