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公職追放

こうしょくついほう

公職追放は、公職、すなわち公務員などの職業にあった人を退職させ再び役職に就けない行為である。特に戦争の終結などにより体制の変化が発生した場合に行われる。
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具体的には政府の要職や民間企業の要職につくことを禁止することを言う。これらは政変や戦争終結後の戦後処理として、以前の政治の都合の悪い点を取り除くために行われることが多い。

 またその追放の対象および理由は支配者等により恣意的に行われることが多いため、その行為が正しいとは限らない。

 この項目では主として日本の公職追放に関して記述を行う。

主な事例編集

 主としてあげられるのは第二次世界大戦におけるドイツ(いわゆる非ナチ化)、日本(公職追放と呼ばれるものおよびレッドパージ)、あるいは戦後のアメリカ(マッカーシズム)があげられる。

 また、社会主義が成立した国に関しても行われ、これは徹底したものであるといわれる(粛清に近いものであったとも)。

ドイツの事例編集

 第三帝国に協力した人物に対し行われた。基本的にドイツなどの場合、「ナチス・ドイツの指導者とドイツ国民は区別する」という原則があり、それによりナチスの支持者および軍国主義者、それらに積極的にかかわった人間は追放と同時に重罰を与えるなどの行為が行われたとされる。

 アメリカ支配地域の場合、当初は米軍主体であったが問題があったためドイツ側に主権が移った。それもあり徹底したものとならなかった点が存在しており、また悪影響もあったため1950年には重罪となった人たち以外の追放は解除された。

 また、ソビエト連邦支配地域の場合厳密に行われといわれ、追放により空席となったポストに亡命していた共産党員などの人材を当て、支配を強化したといわれる。

 また、ヨーロッパの関係地域においてもこの行為は行われた(資料がないため詳細は不明)。


日本の事例編集

 日本の場合二つの段落に分けられ、最初は軍国主義者および国粋主義者の追放、次には社会主義および共産主義思想を持つ人物の追放であった。

公職追放編集

 GHQの総司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、ポツダム宣言(アメリカ、イギリス、中華民国のTOPの名において大日本帝国に対して発された「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言、本文、訳文)第6条および第10条にのっとり昭和21年1月4日に公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件という連合国最高司令官覚書を発表し、就職禁止、退官、退職等ニ関スル件として勅命(ここではいわゆるポツダム命令でありこれは「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件によりGHQには法律を議会を経ずに命令で定めることが出来、それを行ったもの)として成立した。

 さらに昭和22年にはこれを戦争中などに活躍した私企業にも適用した結果、およそ20万人にも及ぶ、旧軍人、役人などの公務員、教授や学者などの教育者(教育者の場合公職からの追放あるいは教育者としての追放が存在した)、報道機関、会社重役などの財界の指導者、地方自治体のリーダー、愛国婦人会の長など女性も含め、戦争の遂行に協力したという理由により、またはアメリカおよびその協力者の指示に反対する人々(例えば石橋湛山松本治一郎などが後者ではないかといわれる)などを一切の公職(および重要な職業)から追放させた。


不公平編集

 他の国とは異なり、日本国の場合挙国一致で戦争を行っていた点、さらに降伏文書に問題があり、満州事変以後ではなく、日露戦争以後の戦争に対して罪を問うというスタンスであったため範囲が広がり、直接関係しない人物が追放される事例が存在した。一方戦争をあおったはずの官僚に対する追求は(おそらく身内同士でかばいあったか、国をまわすことが出来なくなると危惧したGHQが追求しなかったことにより)不十分となり、その件の清算が行われなかった。また政治家の場合追放された人物の関係者が立候補し(指定された場合三親等も同様に追放されたが、公職公選職については問わずとした)結果そのまま、という事例も見られた。 また、旧軍人達の反乱への危惧と在日米軍の出征による治安の空白への懸念が朝鮮戦争で現実問題となり、予定を変更して、(米国に都合の良い)再軍備が検討された。旧軍人らの追放はこの兼ね合いで短期間となり、年齢的に定年に既に達していた将官ら以外の生存していた軍人たちは自衛隊の設立を大義名分に、続々と公職に復帰。この際に第343海軍航空隊の元司令であった源田実などが(上の世代が年齢的に定年に達していた幸運もあったが)自衛隊の高官に抜擢されている。





レッドパージ編集

 公職追放により戦前に活躍した優秀な人材が表舞台から去り、新しい人材が活躍するようになった。しかしその中には今まで弾圧されてきた社会主義者および共産主義者が一定の割合で含まれていた。また戦前には抑圧されていた労働運動も盛んに行われるようになっていた。

 昭和24年以降、中国大陸では国共内戦再開後中国共産党中華人民共和国を成立させ、さらにソ連の力が東ヨーロッパを牛耳る、さらに1950年には朝鮮戦争が勃発、社会主義および共産主義勢力が著しく伸ばしていた。

 これを重く見たGHQはそれらの人物を追放することにした。報道機関や大学を除く教育機関などから1万人以上の人間が除去された。さらに日本共産党などは非合法化されるところであった。また彼らはそれまでの追放者と異なり再就職が困難であったとされる。


アメリカの事例編集

 アメリカにおいてはレッドパージで説明したとおり、社会主義の脅威が広まったころに共産党員に対する公職追放が行われた。具体的には1947年ごろから1954年までであり、これはこの行いを推薦したジョセフ・マッカーシー上院議員の名前を取ってマッカーシズム(この言葉が使用されたのは1950年ではあるが)と呼ばれる。

 例えば映画業界において委員会への召喚や証言を拒否した人物を追放したり、チャップリンを実質上の国外追放したり、有能な物理学者夫妻をソ連のスパイであるとして処刑したりしている。

 ところがこの行為、かなり強引な点があった(冤罪も発生したと思われる)こと、さらに内容を軍部にまで広げた際上層部を批判したことなどより批判を受け、1954年にこの活動は終了した。

 この件の影響は大きく、アメリカの中枢部にアジアを理解できる人間が減少したこと(これがベトナム戦争における対応の誤りを産むことになる遠因となる)、映画業界が政権、特にジョセフ・マッカーシーが所属していた共和党不信が強苦なったことがあげられる。

関連タグ編集

クーデター 戦後 公務員

参照編集

wikipediaの以下の項目

公職追放 レッドパージ 公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令

非ナチ化 赤狩り マッカーシズム

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