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1884年9月25日、東京日蓮宗僧侶の息子として生まれる。早稲田大学卒業。実は軍役経験があり、最終階級は陸軍少尉

当時の国策の主流であった大日本主義を批判するものとして提唱されていた小日本主義を唱えるリベラルな言論人として知られ、戦前は『東洋経済新報』に寄稿した「青島は断じて領有すべからず」の論文を皮切りにより一貫して日本の朝鮮台湾満州統治を「植民地政策」だと批判して、加工貿易立国論を唱えていた。

敗戦後は「平和同盟」を主張して政界で活躍し、保守合同後初の自民党総裁選を制して総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し、退陣した。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした。

1973年4月25日死去。享年88歳。

また、僧侶の家に生まれた関係から、立正大学学長に就任している。

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