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万里小路宣房の編集履歴

2023-11-17 22:14:48 バージョン

万里小路宣房

までのこうじのぶふさ

万里小路宣房とは鎌倉時代から南北朝時代の公卿。

概要

父は万里小路資通、母は宗清の娘、官位は従一位、大納言


プロフィール

時代鎌倉時代南北朝時代
生誕正嘉2年(1258年)
死没正平3年/貞和4年10月18日(1348年11月9日
官位従一位、大納言
主君亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇光厳天皇後醍醐天皇
氏族万里小路家
父母父:万里小路資通、母:宗清の娘
藤房季房、ほか

経歴

文永8年(1271年)に従五位下、後に兵部少輔、弁官、蔵人頭を経て嘉元3年(1305年)に参議、徳治3年(1308年)に従三位に進んだ、文保2年(1318年)に権中納言となる、正中元年(1324年)の後醍醐天皇の討幕計画が発覚した際に鎌倉へ赴き釈明を行い、その功によって権大納言に就任(以降3回就任)、後に大納言に就任、幕府滅亡後に建武の新政が行われ雑訴決断所の頭人に就任、建武3年(1336年)に出家。


外部リンク

万里小路宣房 - Wikipedia


関連タグ

公家 鎌倉時代 南北朝時代  万里小路家

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