概要
万里小路宣房の長男、官位は正二位、中納言、後醍醐天皇の側近。
プロフィール
経歴
文保2年(1318年)に蔵人、弁官となり後に蔵人頭、正中元年(1324年)に参議に就任、嘉暦元年(1326年)に従三位、権中納言、左兵衛督に進み中納言となる。後醍醐天皇の討幕計画に関与し笠置山へ逃れたが捕らえられ常陸国(一説に下総国)へ流されたが幕府滅亡後に復帰した。建武元年(1334年)に天皇の建武の新政に失望して同年出家した。
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