万里小路宣房
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までのこうじのぶふさ
万里小路宣房とは鎌倉時代から南北朝時代の公卿。
文永8年(1271年)に従五位下、後に兵部少輔、弁官、蔵人頭を経て嘉元3年(1305年)に参議、徳治3年(1308年)に従三位に進んだ、文保2年(1318年)に権中納言となる、正中元年(1324年)の後醍醐天皇の討幕計画が発覚した際に鎌倉へ赴き釈明を行い、その功によって権大納言に就任(以降3回就任)、後に大納言に就任、幕府滅亡後に建武の新政が行われ雑訴決断所の頭人に就任、建武3年(1336年)に出家。
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