概要
『ウマ娘プリティーダービー』のミスターシービーとカツラギエースのコンビ・カップリングタグ。
関係性
リリース2周年に合わせてミスターシービーが育成実装されると同時にカツラギエースも登場を果たした。2周年エピソードやシービーの育成シナリオでは随所でエースが奔放なシービーに振り回されたりしながらも友人兼ライバルとして良好な関係を築いている様子がうかがえる。
「シービーを育成していたらシビエス沼にハマった」との証言も上がっているとか。
2022年5月実装のシービーのSSRサポートカード「Dear Mr. C.B.」のエピソードは皐月賞で出走したカツラギエース視点で書かれている(エースは苦手な不良馬場に苦しみ11着に終わっている)。
コースは最悪のコンディションだった。
それなのに、あなたは泥すらあしらって
バ群を切り開き、先頭へ躍り出た。
めくれ上がった芝も
宙を舞う雫も
先を行く私たちすら。
すべての間を、
縫って、
抜いて、
置き去りにして――
追い抜かれる時に見えたのは、
どこまでも澄んだ空色の瞳。
誰も捕まえられない、
捕まえようのない、自由な……。
「ミスターシービー、先頭でゴールイン!
三冠の初戦は、ミスターシービーが
制しました!」
誰が誰かわからなくなるほど
ひたすら汚れて泥まみれの中、
彼女だけが特別だった。
頬の泥を手の甲で拭う少年のような仕草に。
ゆるく口角をあげた、飄々とした笑顔に。
観客に向かって、宙へ手を突き上げる姿に。
打ち負かされたことすら忘れて
不覚にも、見入ってしまった。
史実
3歳(当時4歳)ミスターシービー3勝1敗カツラギエース1勝3敗
4歳(当時5歳)ミスターシービー1勝3敗カツラギエース3勝1敗
8回対戦し、4勝4敗の五分の成績
ミスターシービーとカツラギエースは色んな所が対照的だった
・天馬の子に対して地味血統の安馬
・グッドルッキングホースに対して平凡な馬体
・追い込み馬に対して逃げ先行馬
・本番で強いクラシック三冠馬に対して本番に弱いトライアルホース
・古馬になって苦しんだ馬と古馬になって覚醒した馬
史実で対戦したレース 同期(83世代)
年 | レース名 | ミスターシービー | カツラギエース | 他の1着馬 |
---|---|---|---|---|
1983 | 皐月賞 | 1着 | 11着 | 不良馬場 |
1983 | 東京優駿 | 1着 | 6着 | |
1983 | 京都新聞杯 | 4着 | 1着 | |
1983 | 菊花賞 | 1着 | 20着 | |
1984 | 毎日王冠 | 2着 | 1着 | |
1984 | 天皇賞 | 1着 | 5着 | |
1984 | ジャパンカップ | 10着 | 1着 | |
1984 | 有馬記念 | 3着 | 2着 | シンボリルドルフ |
引退後
2000年7月に死去したエースの墓碑銘にはファンの手により
「あの"ジャパンカップ"を想い出します
"ジャパンカップ"の感動を!!
もう一度、君とミスターシービーの対決を!!」
カツラギエース育成エンディングの元ネタはこれ
と刻まれている。
同年12月には後を追う様にシービーも死去した。
逃げのカツラギエースが先に引退、死去し、追い込みのミスターシービーが後で引退、死去、脚質までも同じ。
不思議な事あるんですね。
引退から38年、没後22年余りにして姿は違えど「もう一度の対決」の舞台が戻ってきたことになる。
余談
ミスターシービーとカツラギエースの父系辿ると同じ
プリンスリーギフト系に当たる。