ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

藤原永手の編集履歴

2023-12-30 20:36:22 バージョン

藤原永手

ふじわらのながて

藤原永手とは奈良時代の公卿。

概要

藤原房前の次男、母は牟漏女王(美努王の娘)、官位は正一位、左大臣


経歴

和銅7年(714年)に誕生、天平9年(737年)に従五位下、天平21年(749年)に従四位下となる、式部卿となり天平勝宝6年(756年)に権中納言、翌年の天平勝宝7年(757年)に中納言に就任、同年に道祖王が廃太子となり従兄弟である藤原豊成と共に道祖王の兄塩焼王を推したが豊成の弟仲麻呂によって大炊王が皇太子となった、後の橘奈良麻呂の乱では奈良麻呂らの処分に当った、後の淳仁天皇朝では武部卿となるが天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に付き乱後に大納言となる、称徳天皇朝では右大臣左大臣に進み宝亀元年(770年)に天皇崩御後に天皇から信頼を受けていた道鏡を排除、式家良継百川と共に白壁王を擁立(光仁天皇)し正一位に進む、宝亀2年(771年)に死去。


外部リンク

藤原永手 - Wikipedia


関連タグ

公卿 藤原北家 奈良時代

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました