概要
1931年(昭和6年)3月4日、愛知県名古屋市生まれ。本名は臼井登。芸名は中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。
来歴
江戸時代の旗本・水野十郎左衛門の子孫で、昭和26年に新東宝の第1期「新東宝スターレット」に選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。
昭和29年に「恐怖のカービン銃」で初主演し、昭和34年の「東海道四谷怪談」では民谷伊右衛門役に抜擢され、迫真の演技力により注目される。昭和36年に新東宝の倒産に伴って大映に移籍し、時代劇を中心に準主役級で活躍。並行して兄貴分の鶴田浩二のいる東映の任侠映画でも準主演級で活躍。
昭和41年に個人事務所の「A&Aプロダクション」を設立し独立(後にアマチプロゼに改称)。この頃からTVドラマにも活動の場を広げ、「非情のライセンス」や「江戸川乱歩の美女シリーズ」、「江戸の牙」などが代表作となった。これらの作品ではニヒルな渋さを漂わせた個性派俳優としてハードボイルドの代表的スターの一人となり、かつてとは逆に、刑事など社会正義派的な役どころがはまり役となっていく。
歌手としても自身の代表作の一つである「非情のライセンス」の主題歌「昭和ブルース」をヒットさせた。
昭和60年7月27日、くも膜下出血により他界。享年54歳だった。