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高島忠夫

たかしまただお

日本の俳優・タレント・司会者である。(1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)
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概要編集

兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影町)出身。本名:高嶋 忠夫(読み同じ)。最終所属事務所は東宝芸能。妻は寿美花代髙嶋政宏(二男)、高嶋政伸(三男)、シルビア・グラブ(義娘、二男の妻)、高嶋弘之(弟)、高嶋ちさ子(姪)。


1951年に映画会社「新東宝」のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。本名の高嶋忠夫から芸名を高島忠夫として21歳で上京し、東京暮らしを始める。


1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー。同年に『チョイト姐さん思い出柳』で初主演し、以後新東宝で主演級の歌うスターとして活躍。高島の映画出演は1950年代から1960年代が中心で100本以上の出演作の大半がこの時期。


その後、「君はミュージカルスターになれる」との菊田一夫の誘いで東宝に移籍。東宝ミュージカルのほか、コミカルな演技が印象的な『キングコング対ゴジラ』や「日本製の本格的ミュージカル映画」として後年評価された『君も出世ができる』などの東宝映画や、東宝系列の宝塚映画に出演するようになる。


2年の交際を経て、1963年に寿美花代と結婚。


1964年に長男を生後5か月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われる(高島忠夫長男殺害事件)。事件後、二男の政宏と三男の政伸をもうけている。


役者としては、東宝移籍後、バイプレーヤーとして脇に回り、1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行う。「クイズ・ドレミファドン!」で誕生した「イエーイ!」は高島の代名詞になった。


新東宝出身ということもあって移籍当時は東宝生粋の俳優に引け目を感じていたこともあったが、『キングコング対ゴジラ』で主演に抜擢されたことは「東宝の役者として認められた」と感慨深い思いだったことを語っている。その一方で新婚旅行でロサンゼルスを訪れた際にハリウッドの記者から取材を申し込まれたが、結局ゴジラのことばかり聞かれて憤慨したという。

実は飛行機が大の苦手で、『ゴジラの息子』でのグアムロケに参加せず、本編では現地のそっくりさんを代役に起用することとなり共演者の顰蹙を買ったといわれ、『ウルトラクイズ』でも海外でのロケに1度も参加しなかった。(ちなみに同じ総合司会を担当していた石川牧子は第7回のグアムに参加、国内リポーターの徳光和夫も第10回で一時的ではあるがグアムに行っている。)


平成になってからは一家でCMに出たりしていたが、「暴れん坊将軍9」を途中降板以降あまり公の場に出なくなる。


2019年6月26日13時1分、老衰のため、都内の自宅にて死去。88歳没。



主な出演編集

TV番組編集

ワールドクイズ(フジテレビ、司会)

クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ、司会)

クイズ!年の差なんて(フジテレビ、解答者)

アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ、総合司会 第1回 - 第12回)

ごちそうさま(日本テレビ、寿美花代とともに司会)

ゴールデン洋画劇場(フジテレビ、解説者)


映画編集


CM編集

トヨタ自動車 コロナマークⅡ(初代)

月桂冠

ワーナー・ランバート リステリン

ローソン(1990年)

富士フイルム 写ルンです


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俳優 男優

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