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徳大寺公継の編集履歴

2024-02-09 21:45:33 バージョン

徳大寺公継

とくだいじきんつぐ

徳大寺公継とは平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿。

概要

徳大寺実定の子、母は備後、官位は従一位、左大臣


プロフィール

時代平安時代末期ー鎌倉時代前期
生誕安元元年(1175年)
死没嘉禄3年1月30日(1227年2月17日
官位従一位、左大臣
主君後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇
氏族徳大寺家
父母父:徳大寺実定、母:備後(上西門院女房)
五条夜叉(白拍子)、三条実房の娘
実基、実助、女子、実嗣、実真、実縁

経歴

寿永3年(1183年)に従五位下、侍従となる、後に右少将、右中将に就任し建久元年(1190年)に参議となる、翌年の建久2年(1191年)に従三位、建久9年(1198年)に権中納言となり後に左衛門督、春宮権大夫を経て元久元年(1204年)に権大納言、後に大納言、右大将となり承元3年(1209年)に内大臣、建暦元年(1211年)に右大臣となるが建保3年(1215年)に辞任、承久3年(1221年)に右大臣を再任、貞応3年(1225年)に左大臣となる。


外部リンク

徳大寺公継 - Wikipedia


関連タグ

公家 徳大寺家 平安時代 鎌倉時代

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