ヒーロー列伝No.26
四白 流星 六馬身。
四白流星の鮮やかな肢体が、ダービーのゴールを駆け抜けたとき、2番目の馬は6馬身も離されていた。
根本騎手をして、「後ろの足音は聞こえなかった」と言わしめた。圧勝である。
しかし、メリーナイスは、その負けっぷりも、また凄かった。その危うさが好きだったというファンが大勢いた。
軽やかな時代の風に乗った、新しいヒーローだったのかもしれない。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
誕生日 | 1984年3月22日 |
死没 | 2009年3月1日 |
父 | コリムスキー |
母 | ツキメリー |
母の父 | シャトーゲイ |
5代内のインブリード | Polynesian5×4 / Hyperion5×5×5 / Nearco4×5(父系内) |
産地 | 北海道静内町 |
管理調教師 | 橋本輝雄(美浦) |
馬主 | 浦房子 |
現役時代
1986年8月3日に函館でデビュー。1番人気の期待に応えて勝利を収めるも2戦目のコスモス賞では4着、3戦目のりんどう賞ではサクラロータリーにアタマ差で届かず2着に敗れる。
2度の敗北を経て出走したいちょう特別では勝利を収め、GI・朝日杯3歳ステークスへと出走する。
朝日杯3歳Sは有力とされたさくらロータリーの戦線離脱により混戦模様となるが、メリーナイスは2番人気に推される。レースでは直線で力強く抜け出してホクトヘリオスに1馬身半差つけて優勝を収めた。
4歳シーズンはスプリングステークスより始動。マティリアル相手に9着に沈み、皐月賞でも7着。続く東京優駿(日本ダービー)では4番人気に推された。
レースでは4コーナーで先行集団に取り付くと直線で差を広げ続け、逃げを打っていたサニースワローに6馬身差をつけて優勝した。
なおこの年のダービー勝者には例年にない賞品があった。それは映画『優駿』の主人公オラシオンのモデルになれるというもの。優勝したメリーナイスはめでたく映画出演の権利を得たのだが、撮影スタッフが1番人気のマティリアルにだけカメラを向け、メリーナイスを全く撮影していなかった。その後の顛末は……言うまでもないだろう。
ダービー後は休養し、セントライト記念より始動。これに勝利して菊花賞に臨むもサクラスターオーに9着と敗北。
年末の有馬記念に出走し、3番人気に推されるもスタート直後に騎手を振り落として落馬。カラ馬でトコトコと走る様子はメリーナイスの馬券を買っていない者にとっては笑いを誘う光景となった。(しかしこの時点では悲劇が起きることなど誰も知らない……)
翌年の目黒記念では2着に食い込むも、春の天皇賞では14着に沈む。続く函館記念ではサッカーボーイ相手に完敗するもシリウスシンボリ、マックスビューティなどを抑えて2着となる。
その後秋の天皇賞に向けて調整が行われたが調教中に骨折して引退が決定。種牡馬入りが決まった。
引退後
引退後はレックススタッドで種牡馬入り。中央の重賞勝ち馬2頭を出したが後継種牡馬を残せないまま1999年に種牡馬を引退。
引退後は長野県の牧場で余生を送っていたが、2007年に北海道の渡辺牧場(ナイスネイチャなどを繋養する牧場)へ移動。
2009年2月28日に疝痛を発症して手術を行うも翌3月1日にこの世を去った。
同世代のマティリアル、ゴールドシチー、サクラスターオーよりも圧倒的に多くの人参を食べて二度と戻れないゴール板を駆け抜けたメリーナイスは87世代で最も幸運な馬だったと言えるだろう。