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レディス4の編集履歴

2012-10-03 21:26:50 バージョン

レディス4

れでぃすふぉー

 テレビ東京系列で1983年5月~2012年9月に放送された生放送情報番組。

概要

放映前史

 1970年10月1日にフジテレビジョンで開始された『東京ホームジョッキー』(平日午後4時~)に端を発する。

 1960年代末、米出張中に開始されたばかりのテレビショッピング番組を見て、商機を感じ取った三越(現:三越伊勢丹ホールディングス(傘下の三越伊勢丹他各社))の岡田茂専務(当時)が、日本向けにアレンジした物ができないかと、海外の放送事情に精通する元ニッポン放送プロデューサーディスクジョッキーで、洋楽評論の第一人者だった高崎一郎に相談。高崎が企画立案から関係省庁との折衝にも奔走して、日本初のテレビショッピング番組の実現に漕ぎ着けた。最初に扱った商品は『メキシコの太陽』という同国製の卓上ランプスタンドだった。

 『東京ホームジョッキー』は、生鮮品の産地直送バーゲンセールの先鞭を付けた事でも知られる。ビデオの普及前で「放送で紹介された商品をもう一度見たい」という意見が殺到し、翌1971年6月には『サンケイリビング』が創刊され、フジサンケイグループカタログ通販事業に直接参入。関東ローカルだった番組もネット配信開始された事に伴い、同年10月には『リビング4』にタイトルを変更した。

 番組開始1周年記念企画『オールアイテム日本一大バーゲン』には、会場の日本武道館に2日間で7万人が押し寄せ、売り物が底を突く大盛況になり、「日商1億円のセールスマン」の称号を得た高崎は、これらの功勲を以って三越の顧問に招請されている。

 旧ディノス設立直後の1972年4月からは、並行して同一趣旨の『リビング11』(~1982年3月31日)も生放送で開始したが、同番組に高崎らは登場せず、三越も関与していない。この午前11時過ぎの時間帯は、現在の『ノンストップ!』内の『いいものプレミアム』に至るまで、サンケイリビング~ディノス系のテレビショッピング枠として固定維持され、単独でもネットされている。

 1975年10月1日より、放送時間を午後2時からに移動して『リビング2』とタイトルを改め、1982年3月31日まで通算11年6ヶ月間放送された。

 三越社長に昇進していた岡田茂に関するスキャンダル報道が激化した1982年、春改編で『リビング11』と『リビング2』が共に終了。その半年後の9月22日、三越取締役会が社長の岡田を全会一致で電撃解任し、「何故だ?」が流行語になった。翌10月には岡田と愛人の竹久みち小島美知子)が東京地検特捜部に脱税と特別背任容疑で逮捕されたため、ブランドイメージの傷付いた三越は、一定の冷却期間を置かざるを得ない状況に追い込まれた。

放送開始

 テレビショッピングの嚆矢であり、1日の通販売上高が1億円を突破した事もあった『リビング2』の後継番組を、重要な販路として三越は強く求めていた。スキャンダル発覚から1年強を経た1983年5月2日、テレビ東京に場を移し、『レディス4』の名で元の午後4時の時間帯に復活。司会進行と番組構成は引き続き高崎が担当し、岩崎美智子若杉恵子がサブ司会に加わった。

 1984年4月より、かつて『リビング2』で高崎のパートナーを務めたこともある小林節子が加入し、長らくこの4人を固定メンバーに据えて番組は続けられた。ネット局の少なさや上述のスキャンダルの影響も相俟って、開始初期には視聴率1%未満という状態だったが、主婦層を中心に徐々に浸透していった。

高崎一郎の降板

 1990年代に入ると、高崎が体調を崩しがちになり、1991年と2002年には各々2ヶ月間、療養のため番組出演を見合わせた。2002年の長期休養明け以降は、高崎の体調を考慮して岩崎、小林、阿部公江岡本妙子のサブ司会陣が大半のコーナー進行を共同で務めるようになった後、2003年2月28日放送分を最後に高崎は番組を去り、メイン司会は同年3月3日放送分から俳優の柴俊夫に交代。交代最初の日は、オープニングのタイトルの前に柴から視聴者への挨拶が行われ、また就任後間もなく、公式ホームページが開設された(しかし翌年10月のリニューアルまでは、メールフォームしかなかった)。

 2004年10月4日からタイトルロゴとテーマ音楽の変更を含む大幅なリニューアルが敢行され、岩崎美智子小林節子が降板。新キャスターとして大野香菜が、同年10月18日には山本英里が加入。

2005年以降のリニューアル

 2005年4月27日で放送通算5500回を迎えた2005年は、新プロデューサーが就任し、5月2日の番組開始22周年を期に、再度タイトルロゴとテーマ音楽、番組構成を大幅に変更すると共に、僅か半年で大野が降板。川原みなみが柴のアシスタントとして登場し、また5月9日から金田安恵が新たに加わった。

 2005年5月30日から、番組連動コミュニティサイト『L4ねっと』がスタート。『商品情報』で扱った一週間分の商品についてインターネットからの注文が可能になったが、このL4ねっと付属の電子掲示板『レディス4ラム』(レディスフォーラム)には、出演者交替や一連の番組改編への批判、川原の態度と言葉遣いへの反感が殺到したため、同掲示板は一時閉鎖を余儀なくされた。

 批判の矢面に立たされた川原だったが、就任2ヶ月余の2005年7月28日放送分で病気治療のため一時休養を宣言(後に自身の公式サイトで卵巣癌罹患を発表)。川原は同年10月3日放送分から復帰し、川原が休養中に代理司会を務めた似鳥祐子(当時、川原と同じ事務所に所属)は、商品情報担当に異動した。

 この川原復帰と同時に、岡本妙子阿部公江ら、商品情報担当の他のレギュラーメンバーが総入れ替えされ、同コーナーでは1996年春に降板した石橋正治以来、9年半ぶりの男性レギュラー片野晴道ら3名が加入。

 2006年10月2日放送分より、女優の大島さと子をメイン司会に、フリーアナウンサー・徳光和夫の二男でタレントの徳光正行をサブ司会に迎えて、柴・川原コンビら出演者の入れ替え、タイトルロゴ再々変更などの抜本的な刷新が行われた。女性が総合司会を担当するのは23年目にして初。

 2007年12月28日放送分をもって徳光が1年3ヶ月で降板。翌2008年1月7日放送分からフリーアナウンサー(元福岡放送(FBS)アナウンサー、現青森テレビ報道部記者)の今泉清保に交代した。

 2008年3月28日放送分をもって似鳥祐子が降板し、リポーターをしていた石川央子が商品情報を担当することになった。

番組リニューアルへ

 2012年9月28日放送分をもって、29年半にわたった放送を終了し、10月1日放送分より元NHKアナウンサーの草野満代を司会者に起用、略称である『L4』を前面に押し出した『L4YOU!』にリニューアルされることになった。また当番組のサブ司会の板垣龍佑(テレビ東京アナウンサー)のみ『L4 YOU!』に出演することになった。他系列局における放送は信越放送は本番組と同じ放送形態で放送されるが、他の他系列局に関しては現時点では未定。

関連タグ

テレビ テレビ東京

L4YOU!

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