無題byかんづめ一般中津藩なかつはん中津藩とは豊前国中津城を拠点とした藩。pixivで「中津藩」のイラストを見るpixivで「中津藩」の小説を読むpixivで「中津藩」のイラストを投稿するpixivで「中津藩」の小説を投稿する問題を報告英語版記事を作る目次1 概要2 藩主2.1 黒田氏2.2 細川氏2.3 小笠原氏2.4 奥平氏3 外部リンク4 関連タグ概要1587(天正15)年に豊臣秀吉が九州征伐を終了した後の論功行賞で、家臣の黒田孝高に豊前6郡12万石を与えたのが始まり(太閤検地により18万石へ上方修正)。その主城として中津城が築城された。関ヶ原の戦い後、黒田氏は筑前福岡へ移封となり、代わって細川忠興が豊前1国・豊後2郡39万9千石で入部するも、小倉城を築城しそちらを藩庁としたため、中津城は城代がおかれた。1632(寛永9)年、細川氏が肥後熊本へ移封すると、小笠原長次が8万石で入部したが、5代約80年の間で2度の改易処分を受け、最終的に1万石まで減らされたうえで播磨安志(兵庫県姫路市)へ移封となった。1717(享保2)年、奥平昌成が10万石で入部したことで明治維新まで続いた。藩主黒田氏黒田孝高黒田長政:孝高の長男細川氏細川忠興:丹後宮津18万石から移封細川忠利:忠興の三男小笠原氏小笠原長次:播磨龍野6万石から移封小笠原長勝:長次の次男小笠原長胤:長次の長男・長章の長男。悪政の為改易。小笠原長円:長章の五男。4万石で相続。小笠原長邑:長円の長男。無嗣改易となるも弟の長興が播磨安志1万石へ減転封。奥平氏奥平昌成丹後宮津10万石から移封奥平昌敦:昌成の次男奥平昌鹿:正敦の長男奥平昌男:昌鹿の長男奥平昌高:薩摩藩主・島津重豪の次男奥平昌暢:昌高の次男奥平昌猷:昌高の五男奥平昌服:昌暢の次男外部リンク中津藩 - Wikipedia関連タグ藩 豊前国 奥平氏中津城前野良沢、福沢諭吉:中津藩出身関連記事親記事藩はん