概要
元々は魏出身だったが魏斉から斉と繋がっていると勘違いされ、拷問のすえ便所に放り込まれ辱められた。
この恨みを忘れない范雎は秦の宰相にまで上り詰め、魏への復讐を誓う。
昭襄王に遠交近攻政策を進言し、秦の優勢を決定的なものにした。のちに魏斉を謀殺、白起の出世を恐れ王に頼み彼を処刑して貰う、廉頗の失脚に貢献など、秦の宰相として辣腕を振るった。春申君が昭襄王に殺されそうになったとき、取りなしたのも范雎である。
「睚眦(竜生九子の一つでよく鎌や矛に彫られる山犬)の恨み」という故事成語の由来となった。范雎は小さな悪にも小さな恩にも必ず報いた。あるとき范雎を推挙した王稽が「俺への報いがまだなんでない?」と暗に告げ、内心不快に思ったが王に言って王稽を河東長にした。
編年期では王稽と連座して処刑されたとあるが、史記では宰相の座を退いた事で天寿を全うできたとある。
創作では
横山光輝の史記
達人伝
傷だらけ、歯の抜けた顔という強烈なフェイスで登場。主人公たちと敵対する立場である。初登場時、魏から友人を呼び寄せ、何も知らない友人を脅すことで魏斉の首を届けさせようとした。
白起の長平での虐殺にドン引きし、昭襄王に白起の謹慎を進言。