1966年から1991年にかけて(ただしタクシー・教習車としては1995年まで)製造、販売されていた。初代はトヨペットコロナやダットサンブルーバード、2代目はトヨペットコロナマークⅡや日産ローレル、3代目から最終5代目まではトヨペットクラウンや日産セドリック(およびプリンスグロリア)と同じ車格だった。
また、すべての代にロータリーエンジン搭載車が設定されていた。特に初代のロータリーエンジン搭載車は、ルーチェ・ロータリークーペという名称であり、実はコスモと並ぶマツダの最高級車種として設定されたものだった。
海外へは2代目以降は「マツダ929」として販売され、2・3代目のロータリーエンジン搭載モデルは「マツダ・RX-4」として販売された。
エピソード
初代に関しては、輸出先のヨーロッパでは売れ行きが良かったが、日本市場では、当時のマツダのセールス力のせいか、あまり売れたとは言い難かった。この「海外では評判良いけど日本では・・・・・・」のイメージは、その後のマツダ車の多くが抱えた悩みと言える。
上記のルーチェ・ロータリークーペだが、当時としては珍しいフロントエンジン・フロントドライブ(FF)を採用したが、実はこの時の本来のルーチェは、フロントエンジン・リアドライブ(FR)を採用していた。
だが、1969年に追加されたこの車種は、1972年(ただし1970年6月という説もある)に976台で生産を打ち切ってしまった。
なお、ロータリーエンジン搭載のFF車としては、他に(西)ドイツのNSU(→アウディ)・Ro80やフランスのシトロエン・GSビトロールが存在する。
3代目に関しては、もともとは2代目の上級車種という扱いで、「ルーチェ・レガート」と名乗っていた。4ドアセダンと4ドアハードトップが設定されていた。ところが運輸省(現在の国土交通省)への型式認定申請を「ルーチェ・レガート」ではなく「ルーチェ」で申請していたため、モデル途中から「ルーチェ」に名称の変更を余儀なくされた。そしてそのあおりを受け2代目は1978年7月にセダンとハードトップの生産・販売を打ち切った。残るバンに関しても1979年2月に3代目に切り替わった。さらに言えば3代目のバンに関しては1988年1月まで発売されていたそうである。
なお、3代目のイメージキャラクターを作曲家の黛敏郎が、続く4代目(後期型)のイメージキャラクターをプロゴルファーの青木功が務めている。
歴代を通してマツダ協賛の刑事アクション・2時間サスペンス・特撮ヒーローもの等といったテレビドラマで劇用車(主にパトカーや犯人車等)として多用され、クラウン・セドリック・グロリアにも劣らぬ存在感に各々の作品のファンには鮮烈な印象を残していった。
4代目のボディを「再利用」し、小型タクシー用として製造・販売されたのが、カスタムキャブという車種である。1989年から1995年まで製造・販売が行われた。
1979年、1980年および1984年のプロ野球日本シリーズMVPには、本来の副賞であるトヨペットクラウンではなく、なぜかこれが贈られた。