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坊やだからさの編集履歴

2025-01-19 19:11:51 バージョン

坊やだからさ

ぼうやだからさ

「機動戦士ガンダム」の台詞の一つ。

概要

ガルマを謀殺したシャア・アズナブルがガルマの国葬の中継を酒場で視聴していた際、彼のギレンが発した「諸君らが愛してくれたガルマは死んだ!何故だ!?」との芝居掛った演説に対して答えた台詞である。

名台詞の宝庫である機動戦士ガンダムの中でも最も有名な台詞の一つであり、公式非公式を問わずパロディされることも非常に多い。

親友でもあり、また、の仇であるデギン・ソド・ザビ息子でもあったガルマを偲んだ、シャアの複雑な心情があらわれた台詞とも言える。


考察

上述のギレンの演説の返しであることから、ここで言っている「坊や」とはストレートに、シャアを無警戒に信じ過ぎた結果命を落としたガルマのことを指して嘲っているという解釈が一般的で、パロディネタにおいてもほぼその説が適用される(さらに別の場面でシャアがガルマを密かに「お坊ちゃん」呼ばわりするシーンがある)。

が、それとは真逆に「親友の命よりも自分の復讐心を晴らすことを優先したシャア自身の自嘲」とする説もある。


実際、シャアと同い年でジオン・ズム・ダイクン暗殺時にはまだ子供だったガルマがその陰謀に関与しているはずもなく、彼を殺害してもシャア自身にとってそこまで大きな意味はなかったと思われ、このシーンでもどこか意気消沈した様子だった。

さらに言えば当時シャアの直属の上司であったドズル・ザビは、それまでの功績からシャアを部下としてかなり評価して重用していたにもかかわらず、ガルマの戦死を知ると一転して彼を守れなかったシャアの処刑を主張しており、結局はデギン公王の裁定により左遷となったものの、直後にキシリア・ザビに拾われていなかったら現場から離れることを余儀なくされていた可能性が高い。この辺りの事情を踏まえて考えると劇中におけるシャアのガルマ謀殺は「ザビ家への復讐」という目的を遂行する上では計画性や実利が殆どなく、逆に自身の軍での立場や命を危うくするリスクばかりが伴う、かなり衝動的な行動であった可能性が示唆されている。


また、劇場版「めぐりあい宇宙編」ではキシリア・ザビがシャア=キャスバル・レム・ダイクンと見抜いて面談に呼んで「なぜあの可愛いキャスバル坊やが、ジオン軍の士官になっているんだい?」と問われた際、ガルマ様の時、虚しくなりました。キシリア様流に言えば、復讐の後に何の高揚感もなくただ虚しい自分を見つけた時、おかしくなったのです。自分に笑ったのです」と告げている。

この台詞は「キシリアに『自分はザビ家復讐を諦めた』と思わせる為のシャアなりの方便じゃないか」という見方もある一方で、「キシリアに告げたのは本心で、衝動的にガルマを見殺しにしたのを本当に後悔しているのではないか」という見方もある。


この後ア・バオア・クー攻防戦において兵に先んじて脱出しようとするキシリアを謀殺する際にも、キシリアに対して『弟の元へ送ってやる』ではなく、既にこの世に居ないガルマに対して『自分からの手向けである』と念じていたり、また後年シャアはドズルの遺児でザビ家最後の生き残りであるミネバを「無関係な子供」として復讐の対象とは見做さなかったばかりか終始慈しみの感情を持って接していたが、ガルマを手にかけた経験が影響した可能性もある。


総評

ザビ家という陰謀渦巻いて当然である権力者の家系にありながら「友人だから」という理由で自分を妄信してしまったガルマの純粋さへの嘲笑と、そんなガルマを「友人なのに」ほぼ無関係の復讐に巻き込み、にもかかわらず自棄酒をしながら嘲笑して強がって見せる自分への自嘲が入り混じったセリフと見ることができるだろう。

台詞の真意についての明確な答えが示されず、様々な解釈や考察ができるという特徴は「若さ故の過ち」などとも共通しており、シャア・アズナブルという複雑なキャラクターを象徴する名台詞の1つといえる。


関連タグ

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