概要
1969年7月1日生まれ、京都府出身の在日韓国人の野球選手。韓国名は黄進煥(ファン・シンファン:황진환)。
平安高(現・龍谷大平安)、東洋大学を経て1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。
ルーキーイヤーの1992年から一軍に出場。一軍定着は1995年で、この年は亀山努に代わって後半からライトのレギュラーをつかんだ。
1996年からはレフトのレギュラーに。96年は52本、翌1997年は4番に定着して23本塁打をマークした。
1998年は開幕カードで2番スタメン。1999年、2000年はレギュラーの座を奪われるが2001年に復帰。以前は確実性に課題があったが、この年初めて打率3割をマークするなど打撃面で成長を見せた。
2002年はオフにFA権を行使するも、オファーがなく残留。2003年は金本知憲の加入、濱中治の台頭などで一塁手での出場を余儀なくされる。結局濱中の離脱後外野手に戻り、この年はサイクルヒットを達成した。
2004年は自己最多84打点を挙げるが、2005年はやや成績を落とす。2006年からは代打出場が主になるが、翌2007年にかけて打撃不振に陥るなど一時は退団の危機にも立たされた。
それでも2008年に八木裕に代わる「代打の神様」として復活、打率3割をマーク。2009年は前年よりやや成績を落としてしまうが、2011年までの3年間で本塁打を1本ずつ放っている。
2013年シーズンをもって現役を引退することを表明した。