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ニュータイプの編集履歴

2022-08-19 23:28:30 バージョン

ニュータイプ

にゅーたいぷ

直訳すると「新しい型」。主に機動戦士ガンダムシリーズに登場する「宇宙に適応した新人類」を指す。

解説

多くは機動戦士ガンダム、または宇宙世紀のガンダム作品にて用いられる用語。

直感力や洞察力が他の人間に比べて高度に備わっている者達を指す言葉で、人類の革新とも言われている。

またその脳波を利用した兵器(サイコミュシステム)を使用でき、敵の殺気などを感知すると額から閃光を発する(無論アニメ的な演出である)。


作中では言葉を介さずに相手の意思を感じ取ったりとまるでテレパシーのような能力を発揮することが多い一方、単に「感受性が豊かで相手の気持ちを察しやすいだけ」とも解釈可能にもなっている。

ニュータイプとは戦争なんぞせずに済む人間のことだ、エスパーのことではない」とも言われており、その定義は一定ではない。メタ的な設定が曖昧と言うより、「ガンダムUC」では「定義が曖昧で人によって様々な解釈が語られている」という設定となっている。

他の人間とあまりにも能力が異なる故にニュータイプとは孤独な存在でもある。先述の通り高い感受性と直感能力を有するため、精神的に不安定になってしまうニュータイプも少なくない。


また、他者との言語を越えたコミュニケーションを図れるニュータイプであるが、それでも分かり合うことができなかった例が多数存在しており、コミュニケーションが容易であるだけでは人は分かり合えないという厳しい現実を突きつけているとも言える。(SNSが発達した現代において、その実例を容易に目の当たりにすることができる。)


宇宙世紀シリーズでは作品が進むごとにサイコミュシステムの進化に伴うパワーインフレが顕著であり、最初は勘が鋭い・テレパシーが使える程度だったのが、次第に搭乗機がオーラを纏ってあり得ない力を発揮するようになったり、巨大な小惑星をたった1機で押し返したり、遂には永遠の命という概念にまで踏み込むようになり、ファンの間では度々議論を呼んでいる。


富野由悠季監督の「ニュータイプ」

ガンダムシリーズの生みの親である富野由悠季監督は『機動戦士ガンダム』にて、主人公アムロ・レイと宿敵シャア・アズナブル、そしてララァ・スンの三人のニュータイプが繰り広げる悲劇を通じて、互いを理解し合える力を持ちながらそれでも殺し合ってしまう「人間の業」と「人類の革新とは何か」という遠大なテーマを描き上げたことで、ロボットアニメでもその枠組みを破綻させることなく高年齢層の視聴に堪えうる作品作りが可能であることを提示してみせた。


その後の『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』にかけて富野のガンダムシリーズ作品において物語の中で大きな比率を占めるテーマとなっていく「ニュータイプ」であるが、富野監督は最初から明確な概念像を持っていたわけではなく、当初はあくまでも「戦闘の素人である筈のアムロが、いきなりモビルスーツを操縦して超人的な活躍ができることの言い訳でしかなかった」と語っている(当時は「我ながら凄いものを思いついた!」と歓喜したらしい)。

このニュータイプという観念を使って『機動戦士ガンダム』の後半2クールで「人間の革新論」について描くことを考えた富野監督であったが、そもそも答えとなるような哲学を用意していなかったがゆえに上手く作劇に活かすことができずに困り果ててしまい、本放送時に43話に短縮しての打ち切りが決まった時は心底助かったと感じたという。

こうして『機動戦士ガンダム』の劇中ではニュータイプの実体を明らかにせずに断片的で抽象的な描写や言及に留めた結果、却って視聴者に強い印象を残すことに成功したのであった(富野監督曰く「上手く逃げ切ったと思った」とのこと)。


ところが、ガンダムが社会現象となると共に「ニュータイプとは結局何だったのか?」「真の人類の革新とは何か?」とファンの間で様々な議論と解釈がなされ始め、「ニュータイプ」という言葉が一人歩きするようになってしまう。

さらにSF作家高千穂遙が自らのコラムの中で、SF作家の視点から劇中のSF考証の甘さやニュータイプの存在を論拠に富野監督の『SFマインド』の欠落を指摘し、「ガンダムはSF(サイエンスフィクション)ではない」と批判したことを皮切りとしてガンダムSF論争が勃発。

その中で当時の守旧派のSF作家やSFファン、評論家によってニュータイプの存在と演出への批判を受ける羽目になった(一応補足すると、この頃はまだミノフスキー物理学やニュータイプ周りの後付け設定が充実してなかったという事情もあった。なお、富野監督自身は高千穂らの批判を概ね肯定している)。

さらに続編である『機動戦士Ζガンダム』の制作が決定したことで、もう考えなくていいと思ってたニュータイプ論について再び向き合わざるを得なくなってしまい、富野監督は「完全に失敗だった」と後悔するようになる。


こうして富野監督はガンダムと並んで自らが生み出したニュータイプ概念と向き合い悪戦苦闘するようになり、以後の富野作品(特に富野自身が手掛けた小説作品)ではニュータイプ概念の肯定と否定が同時に行われているような奇妙な様相を見せ、一時は「結局、ニュータイプ論はオールドタイプ(大人)とニュータイプ(若者)の対立という世代論でしかない」と結論づけたこともあった(ちなみに、機動戦士ガンダムのキャラクターデザインを務めた安彦良和も、ニュータイプについて「ジェネレーションの別の謂い」と発言しており、世代論であるという点で富野監督の論と共通している)。


1980年代にファンや企業による科学的設定の考証等の裏付けを経て、ガンダムシリーズは一つの「長期的コンテンツ」として成長することになるが、その一方で富野監督自身は1993年の『機動戦士Vガンダム』制作において、(ある意味における)サンライズの裏切りにあった事で精神的に疲弊。暫くの期間、アニメーション制作現場から離れる事となる。

この期間中の1997年に、それまで「ソノラマ文庫版」「角川スニーカー文庫版」という異なるストーリーラインでしか存在していなかった活字としてのファーストガンダムに対して、「将来、原作として認識されるだろう」という意図でTV・映画版のストーリーを改めて活字化した「密会 アムロとララァ」を角川スニーカー文庫から上梓し、ファーストガンダム放映当時は語り切れなかった(そして、放映から20年を経て変遷した自身の考えを纏めなおした上での)ジオン・ダイクンがニュータイプ論を語るに至った意図や、デギンがジオンの暗殺を実行した事実を明確化した。この「密会」を執筆した意図については、当時の監督が、常に商業を優先させるプロダクションや法人といったものに大きな不信感を持っており、広がりすぎたマーケットに対しての『原作者』としての抵抗であった事が、あとがきから見て取れる。


その上で制作現場に復帰した富野監督は1999年の『∀ガンダム』を経た後も、「ニュータイプとは何か?」「どうしたらなれるのか?」という問いに自分なりの解釈を用いて答える試みを続け、2005年に小学館より刊行された山田玲司のインタビュー漫画「絶望に効くクスリVol.5」においては、山田の「ニュータイプとはなんですか?」という質問に対し、「洞察することの出来る力」「相手の思っていることを間違いなく理解できること」だと回答(山田はそれを総じて「他者を理解できる人」がニュータイプだと解釈している)。

そして、2005年~2006年にかけて公開された劇場版『機動戦士Ζガンダム』(新訳Ζ)において富野監督は、「真のニュータイプとは、今までのニュータイプ論で描いた精神的な共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣の人を大事にするために活かすことができる人である」という隣人愛の結論を描き、新訳Ζのカミーユ・ビダンこそ究極的なニュータイプとする現状の結論を描いている。

この“結論”については、小説版『機動戦士ガンダムUC』等を著した福井晴敏氏も「最も真のニュータイプに近づけたのはカミーユ・ビダンをおいて他にいない」と語るなど、他の作家にも影響を与えている。


宇宙世紀におけるニュータイプ

作中で最初にニュータイプの存在を提唱したのはシャア・アズナブルことキャスバル・レム・ダイクンの実父ジオン・ズム・ダイクンであり、U.C.0050の頃にはその思想『ジオニズム』の中で出現が予言された。

ジオニズムによればニュータイプとは過酷な宇宙環境に進出・適応し、生物学的にも社会的にもより進化した新人類であるとしている。

彼はこれを「第三のルネッサンス」(第一はサルから人へ、第二は中世から近代へ)と評し、「スペースノイドからこそニュータイプが生まれる」としてスペースノイド(宇宙居住民)の希望を煽ると共に宇宙移民の正当性を主張、当時地球連邦政府の専横に苦しめられていたスペースノイドの独立を訴えてジオン公国の前身であるジオン共和国を建国した。

しかしながら、ダイクン自身も人類の革新などというものを心底から信じていたわけではなく、地球とは月を挟んだ位置という「僻地」であるサイド3に移民させられてきたことで、逼塞し、内向的にならざるを得なかった共和国民たちに、次なる銀河、次なる星雲というアドバンスド・ステージを示し、彼らの心に潤いを与えるために提示したテーゼでしかなかった。更に根本へと辿ると、自らが提唱したコントリズムとエレズムの実行のために、多くの人間を巻き込んでいる事に対する自己欺瞞であると、実子であるキャスバルは見抜いている(「密会」より)。


それでもダイクンの存命中は、思想的なコントロールは可能であったが、歴史の通り彼は暗殺され、残された全ての人間が、ダイクンが明確な答えを出さないまま遺したテーゼをあるいは利用し、あるいは運命を狂わされていく事になる。


ニュータイプの存在は、ダイクン暗殺直後のジオン政府関係者の間でも懐疑的な見方をする者も多く、どちらかと言えばジオン公国総帥ギレン・ザビのようにジオンのナショナリズムを補強し国内の反連邦の気運を高める政治的方便としては使えるという(一面では正しい)認識の者の方が多数派であった。


しかしU.C.0079年に一年戦争が始まると、亜光速で飛来するメガ粒子砲を高確率で回避するパイロットがいるという報告がなされるようになり、ニュータイプ論の理想的側面に一定の理解があったジオン公国軍突撃機動軍司令キシリア・ザビによってニュータイプ研究所フラナガン機関が設置され、本格的な研究が開始された。

そして並外れた認識力や直感力、感応波(サイコ・ウェーブ)と呼ばれる特殊な脳波を持った人間達--中でも圧倒的なまでの才覚を示したララァ・スンによって、科学的・工学的に実証データが得られた事により、ジオニズム信奉者は彼らこそ予言された「ニュータイプ」と捉えてジオニズムの正当性を確信し、その理念をより強固なものとしていった。


だが同時に、キャスバルにさえもニュータイプの実在を確信させたララァ・スンの“発見”によって、ダイクンが用意していたシナリオが、以降完全にコントロール不全となってしまったという歴史は、皮肉と言う他無い。


結局、ダイクンが語った「お互いに判り合い、理解し合い、戦争や争いから解放される新しい人類の姿」という理想のニュータイプ像とは裏腹に、ニュータイプが機動兵器のパイロットとして高い適性を示していた事から、サイコミュ・システム及びこれを利用したニュータイプ専用機が開発され、ニュータイプはその能力を戦争の道具として利用されていく。

一年戦争開戦前こそニュータイプの存在について否定的ないしは軽視していた地球連邦であったが、ニュータイプパイロットと目されたアムロ・レイが驚異的な戦績を挙げたことから、戦後はニュータイプに注目せざるを得なくなった。


とはいえ、元々ダイクンの説いたニュータイプの定義が漠然としたものであったことや、戦後にマスメディアで取り上げられたアムロの証言があまりにも抽象的であったことから、大衆マスメディアも次第にアムロの発言を取り沙汰することがなくなっていき(小説版「機動戦士Zガンダム」より)、連邦関係者やアースノイド(地球居住民)の間ではジャミトフ・ハイマンのように「エスパー、またはミュータントみたいなもの」という即物的な見方をする傾向が強まっていき、中には寧ろその存在を危険視する勢力もあった。


それでもなお、戦闘におけるニュータイプの有用性は無視できないものであり、連邦は政治的ポーズとしてはニュータイプへの否定的態度をとりつつも、ジオンのフラナガン機関のノウハウを吸収する形でムラサメ研究所を始めとするいくつかのニュータイプ研究所を設立。さらにそこから民間にもニュータイプ及びサイコミュに関する基礎データと技術が流出・拡散し、様々な勢力によって数多くのニュータイプ専用機やサイコミュ技術、そして人為的にニュータイプ能力を発現させた強化人間が生み出されていった。


一方、この「実際に出現したニュータイプ」が機械的手段で「強い直感力と感応波を持つ特殊な人間」であることはわかっても、ニュータイプへの進化が個体の認識や意識によって齎される変革であるとする以上、ビスト財団創始者サイアム・ビストが言及したように、それが本当にラプラスの箱やジオニズムが定義した「人類の進化形」であるかどうかを生物学的に証明することは不可能であった。

さらに言えば、実際にはアムロやララァを始めとして、地球で幼少期を過ごした者やアースノイドの両親を持つ者などからもニュータイプは現れており、レビル将軍などが言及したように、「実際に出現したニュータイプは、本当にジオニズムで語られたニュータイプ(=宇宙に進出したことによる人類の革新)と同一の存在なのか?」という根本的な疑問を(ダイクン本人でさえ確信していなかったので、当然ながら)残すことになる。


U.C.0093に、アクシズ・ショックと呼ばれる事になる、人類史において最大規模の“奇跡”を多くの人間が実の目にし、U.C.0096には元来の宇宙移民に対する“祈り”を解放した「ラプラス宣言」が地球圏全体に発信されるも、結局「人々」は日々の生活に忙殺されてそれらを無為に消費し、忘れていくだけであった。

そればかりか、既に“力”を持つ人間の中から自身の利の追及を深め磐石にせんとする者、あるいは自身の理の『仮説』によって罪を禊がんとする者が現れ、“必然”として消えていく歴史ばかりが繰り返された。


やがて人が宇宙に出て100年を過ぎる頃には、スウェッセムセルの発見によって「感応波」の科学的な解析が大きく進み、これをより工学的・効率的に扱うネオ・サイコミュや、逆に“素養”が全く無い人間でも思考制御を可能とするバイオコンピュータといった革新技術が生まれると、ニュータイプという存在が内包していた神秘性は更に薄まっていった。このためU.C.0123には最早、本来の意味に近い認識を持つのは鋭い感性を残したほんの一握りの者達に限られ、『ニュータイプ=パイロット適性の高い人間、モビルスーツに関するエキスパート』という認識が一般的となる。


最終的にはU.C.0153に、地球で生まれ育った生粋のアースノイドでありながら高いニュータイプ能力を持つウッソ・エヴィンが現れたことで、ニュータイプを根拠にスペースノイドの優位性と正当性を説いたジオニズムはついに根底から崩壊する事となる。


しかしあるいは、ウッソと、そして同じく『地球という質量』を内包するがゆえに強い感受性を有するに至ったシャクティ・カリンが、「家族」という形で互いを支え合うようにして、健やかに素養を伸ばしていた事実は、『ニュータイプの素養は最初から誰にでもあり、他者と正しく触れ合う暮らしの中で、等しく開花させる事ができる』という希望を示したのかも知れない(すなわち、後述するガンダムXの「幻想」という結論と同じ面を持つ)。


宇宙世紀の終焉から数世紀後のリギルド・センチュリーでは、半ば伝説としてその名を残すのであった。


サイキッカー

宇宙世紀0153年の時代を描いた『機動戦士Vガンダム』では、新たにサイキッカーという概念が登場するが、時代の変遷と共にニュータイプの呼称が変化したものなのか、それとも亜種や全くの別物なのかは語られていない。サイキッカーという単語自体は「念動力者」の事であり、そのためこの呼び方はサイコミュ兵器を扱う人間の総称となっている。(サイコミュ要塞エンジェル・ハイロゥを起動させるため、そして冷凍睡眠によって次なる人類の雛型とするためにフォンセ・カガチにより木星圏も含めて、2万人が集められていた。)

これらの状況を加味すると、ニュータイプの名が廃れたのは、単に廃れただけでなくその定義から逸れた能力を持つ者が増えた事も原因なのかもしれない。


なお、ゲーム作品ではニュータイプと同質に扱われているものが多い。

長谷川裕一作品でのサイキッカー

Vより約20年前の世界が舞台の漫画『鋼鉄の7人』、Vと同じ時代の漫画『プロジェクト・エクソダス』・『ゴースト』(全て長谷川裕一作)にも、サイキッカーが登場する。

これらの作品では、心さえ欺く能力を持つもの、サイコミュ波の流れを読む者などの今までのニュータイプと呼ばれた人たちとかけ離れた能力を持つ者もこの定義に含まれる。


宇宙世紀におけるニュータイプと兵器

上述の鋭い直感による反応速度やサイコミュに対する適性など、兵士としてみた場合のニュータイプは、常人(オールドタイプ)と比較して様々なアドバンテージを有する。中でも最大のアドバンテージはレーダーが無効化された有視界戦闘下において、超長距離の敵機を的確に補足可能とする感応力である。

モビルスーツの推進剤、空気(バイタル)の積載量は小さく、艦艇による運搬・補給が必須となる。このため宇宙世紀における戦略は、「如何に多くの敵艦を撃沈するか」が主題となるが、ミノフスキー粒子下ではセンサーや長距離誘導ミサイルが無効化されているため、敵艦に近づくには前衛(モビルスーツ部隊)を突破せねばならない。

ニュータイプは高い感応力によって、モニターにドットサイズでしか表示されない(場合によっては完全に視認外の)超遠方に位置する対象を正確に把握する事が可能なため、戦闘機動を行いながらの精密狙撃や、敵機のアウトレンジから一方的な攻撃を行うことが出来る。例として、ニュータイプ部隊の有用性を示したエルメスのテスト戦結果は、モビルスーツの移動可能範囲外から戦艦十二隻撃沈、モビルスーツ四機撃墜であり、この戦果は熟練の兵士が命がけで挙げた戦果が「遊び以下」となる程のものであった。

百式のメガバズーカランチャーによるドゴス・ギア狙撃のような直接的な戦果は無論であるが、戦場の広域をリアルタイムで把握できる優位性は語るまでのないものであり、事実、ガンダムタイプに搭乗したニュータイプのパイロット達は、敵要塞の急所や敵艦隊の旗艦を正確に捉えて強襲する事によって戦局を自軍優位に傾けている。

最終的に宇宙世紀150年代には、サイコミュ・センサーの高精度化に伴い、それまでミノフスキー粒子下における戦闘ではナンセンスとされた、メガ・キャノンによる超長距離からの艦艇撃沈を目的としたザンネックゴトラタンなどの開発、運用に至っている。


アフターウォーにおけるニュータイプ

アフターウォー(『機動新世紀ガンダムX』の世界)でも同じニュータイプという言葉が出てくるが、宇宙世紀と意味合いがやや違う。

基本的には宇宙世紀のそれとあまり変わりはないが、その上に予知能力や動物と会話する能力などいわゆる超人的な能力を秘めている。

作中では過去の精神的なショックで能力を失った者や、逆に戦闘により精神を破壊尽くされた者、強化人間に相当する人工ニュータイプ、更にはニュータイプ能力を有したイルカや装着者に後天的にNT能力を付与するNシステムも登場する。

また、宇宙世紀以上に戦争の道具としての扱いが強くなっているのも特徴で、連邦・革命軍ともにニュータイプの能力を利用したシステムやそれを搭載した機体を多数開発して実戦に投入した。さらに、両軍にニュータイプの精神を無視して単なる部品として能力を使用する兵器が存在した。

また、同時に対NT用MSの開発が行なわれており、ガンダムベルフェゴールが開発されている。

本編から15年前に起きた第7次宇宙戦争で双方が壊滅状態になった後もこの傾向は変わっておらず、連邦も革命軍もニュータイプを追い求め続けている。


新旧連邦のニュータイプ研究所においては、ニュータイプとは無人MSを脳波で操るフラッシュシステムを使用できる能力者を指し、フロスト兄弟のように例え特異な能力を持っていようとフラッシュシステムに適応できなければカテゴリーFとして扱われる。このFはFake(偽物、紛い物)の頭文字であり、即ちカテゴリーFとはニュータイプの出来損ないという差別的な意味を持っている。

対する宇宙革命軍ではニュータイプ主義という考え方が浸透しており、ニュータイプが思想統制や選民思想の道具としても利用されている。この主義におけるニュータイプとはスペースノイドのことを指す言葉としても使われ、特異な能力を有する者は力が早くに発露した存在として扱われる。

この場合、ティファ・アディールのような地球生まれ育った者は能力を有していてもニュータイプと扱われない。


一般人にもそれなりの知名度があるのか、軍人くずれらしき二人組がニュータイプを名乗って職探しの演説をしており、外伝作品UMLではバルチャー「ミラージュ」がニュータイプ少女達の雑技団による見世物を行ってる。(どちらも自称ニュータイプで、あくまで人目を集めるための自称に過ぎない)


但し、進化を盾に、旧人類に対して差別を通り越して淘汰を名目とした駆逐や排除に至る者(その者がニュータイプかただのスペースノイドかは別に)も現れ、生存を守ろうとするオールドタイプがその状況によって拒絶と差別感情を抱き、『ニュータイプを拒まねばならないオールドタイプ』と言う図式が生じているケースもある。(こう言った思考は、宇宙世紀でも間引き自体は肯定的なために似たような事に走ったニュータイプのキャラもいるので、アフターウォーだけのものではない)


メタ的に込められた意味は、『ガンダム』という作品群そのものを揶揄しており、ニュータイプを求める各勢力はガンダムを取り巻く環境への風刺である。

  • ニュータイプ戦士として戦ったジャミルやランスロー…サンライズが作ったガンダム作品
  • カリスなどの人工のニュータイプ…ガンダムの後釜を狙い似たり寄ったりな作品を作るアニメ制作会社
  • ニュータイプを政治に利用する革命軍…かつてのガンダムを追い続け新シリーズを嫌う古産のファン
  • ニュータイプの力だけを求める連邦軍…ガンダムで商売がしたいサンライズやバンダイ

への皮肉と言われている。

最終的に、『ガンダムX』の世界におけるニュータイプは、ファーストニュータイプと呼ばれたD.O.M.E.によって「ニュータイプとは人々の幻想に過ぎず、特異な力の発現と人類の革新は別物である」と否定され、「前を向いて未来を切り拓き、世界をより善いものに変えていこうと行動する者は、誰でも『人類の革新』たりうる」と結論づけられている。


オールドタイプ

ニュータイプの対義語としてオールドタイプという言葉が登場することがある。

これは従来の人間を指す言葉で、やや軽蔑的な意味合いを含んでおり、地球に住んでいる人間を指す言葉として使われることもある。

ただし、スペースノイドであろうとみんながみんなニュータイプになれるわけではない。他者とわかり合うことをせず、自らが理解し得ないモノを拒絶する人間は地球人であろうとスペースノイドであろうとみなオールドタイプであると言える。


但し、上記の様にニュータイプあるいはニュータイプを語るスペースノイドの攻撃によって生じる偏見が拒絶の一因なので、一概にオールドタイプ側の狭量が問題と言う訳ではない。

オールドタイプがニュータイプを圧倒した例としては、一年戦争では連邦軍人のユウ・カジマがシミュレーターでは有るもののアムロ・レイの乗ったガンダムに勝利しており、グリプス戦役ではティターンズヤザン・ゲーブルカミーユ・ビダンΖガンダムを僚機との連携で手玉に取るという卓越した技量を発揮している。


アナザーガンダムでは、自分がXラウンダーではない事に劣等感を抱いていたもののそれを克服し、絶え間ない努力の結果、Xラウンダーとも互角以上に戦えるようになったアセム・アスノや、一度は破れたものの、仲間の協力や自身の努力でニュータイプに勝利し、更には持ち前の人間性でオールドタイプでありながらもそのニュータイプとも分かりあったガロード・ラン等が該当するだろう。


ガンダムが参戦・登場するゲーム等の扱い

スーパーロボット大戦シリーズ

 パイロット技能として扱われる。

 サイコミュ兵器の適性に加え、攻撃を行う際の命中率、攻撃を回避する際の回避率等に補正を掛ける事が多い。また、ニュータイプ専用武器の射程が延びる、一部の防御技能の発動率が上昇するなどの効果がある。

 一時は命中回避の補正が大きく、オールドタイプとの間に極端な能力差ができてしまう状況だったが、近年はその差が少なくなっている。強化人間よりも補正倍率が大きく取られる作品が多い。


 ガンダムXのニュータイプは技能名こそ分けられているが、能力補正そのものは宇宙世紀のそれとまったく同じ。ただし、Gビットの射程は最高レベルでも1しか伸びない、能力喪失者はレベルが1で上がらない(補正もかからない)か成長が遅くなるようになっていたり、サブパイロットでは能力補正が得られない(Gビットの射程が延びるだけ)など、宇宙世紀のニュータイプと比べるとキャラ付け的な位置付け。


Gジェネレーションシリーズ

 上記のスパロボとは異なり、飽くまでも『NTL(ニュータイプレベル)値』又は『覚醒値』と呼ばれる、パイロットのステータスの1項目に加えられている。

 概ね上述のスパロボに似た補正が掛かるが、作品規格毎に微妙に異なる。


PS規格

 『NTL値』の名義で表記された。この頃は「TYPE」の項目が存在し、『ニュータイプ』『ノーマル』『強化人間』の3つに分けられていた。初代のヒイロと人工ニュータイプのカリスは強化人間、オールドタイプとG・Wのキャラクターはノーマルにカテゴライズされる。

 スパロボに近い扱いだが、NTL値は完全に初期から持っているキャラクターしか伸びない項目だった。

 しかも、戦闘システム的に「『NTL値の差異』が大きい程、命中・回避に補正が掛かる(=オールドタイプも該当)」する為、この時期はニュータイプが圧倒的に有利だった。

 一応、強化人間にすればNTL値を付与出来るが、レベルUPに必要な経験値が膨大化する、撃墜されるもしくは母艦を失い白旗を上げると、廃人化してレベルが最初期に戻される等のデメリットも存在する。また、必ずしも高くなる訳ではない為、キャラクターによっては弱くなる場合もあった(尚、GジェネFに限れば、拡張ディスクの『GジェネF.I.F』を使用すれば、ニュータイプに覚醒させる事が可能)。


PS2前期

 GジェネレーションNEO及びSEEDが該当。これ以降は『NTL』から『覚醒値』に名義が変更された。PS時代の『TYPE』の項目を排除し、所謂ニュータイプ能力を純粋に数値化して、ジェリド、エマ、ヤザン、クロノクル、カテジナ等のニュータイプの素養が見受けられるけれども、ニュータイプと断ずるには決定打に欠ける人物の能力の表現に一役買っている。しかし、この頃は覚醒値の扱いが相当特殊だった。

 まず始めに説明したいのが、この規格のみに存在する先読みプレッシャー等の、一定の確率で発生する特殊状況の概念である。

 先読みはいわゆるファストアタックであり、相手からの攻撃を先に反撃し、プレッシャーは受けた側が、ノーガードの棒立ちになってしまう。

 先読みは覚醒値を持たないオールドタイプ同士でも発生出来るが、プレッシャーは覚醒値を持つニュータイプ同士が戦うと発生する。

 つまり、覚醒値は先読みやプレッシャーの発動率に大きく関係する要素なのである。

 先天的なニュータイプでないキャラクターが覚醒させたい場合、先読みを発生させる自分より覚醒値の高い相手を倒す等で覚醒、以降はレベルアップでも得られるようになる。

 覚醒値はリミットブロック増加にも関係する為、覚醒値の高いキャラは確かに強力だが、その代わりこちらもプレッシャーを受けるリスクも存在する。

 その為、オールドタイプ対ニュータイプの場合はプレッシャーが発生しない=安全に戦える為、オールドタイプにも相応の戦略価値を持っている。

 また、原作で超人的な闘気を放ったドモンと東方不敗、兄弟同士の感応能力と凄まじい邪気を見せつけたフロスト兄弟、そしてコーディネイター並びにSEEDを持つ者と、原作で眉間に稲妻を走らせた描写があるラウとムウ等の、アナザーガンダム出身の一部の人物にも覚醒値が付与されている。

PS2後期

 GジェネレーションSPIRITS以降の作品が該当する。

 概ねPS規格に回帰しているが、ニュータイプになれるのはキャラクター毎に完全固定になり、強化人間にもなれない。

 しかし、覚醒するにはキャラクター毎に、ステータス項目を規定値まで上げて、(キャラクターにもよるが)規定のレヴェルまで上げる必要があるのが難点(勿論、初期からニュータイプならば該当しない)。

 但し、これは逆に考えると、覚醒値が他の項目の数値を奪う仕様でもある為、オールドタイプは基礎ステータスを高め易い仕様になっている。

 ニュータイプと強化人間の概念自体は、パイロットアビリティとして形を変えて復活している。



その他の意味

雑誌

角川書店(現KADOKAWA)が発売している総合アニメ情報誌月刊ニュータイプ(正式には英字表記の「Newtype」)。

語源はガンダムの「ニュータイプ」で、創刊号の表紙はガンダムMk.IIが飾っている。


石鹸「ニュータイプ」

牛乳石鹸が発売するデオドラント石鹸の1つ


115系体質改善40N施行車

新車並に改装された115系JR西日本広島支社が「山陽シティライナーは転換シートを備えたニュータイプ115系で運転」と謳ったことから。


関連タグ

ガンダム サイコミュ サイコ・フィールド 宇宙世紀

悪代官(ゲーム):ガンダム関連パロディが多く、作中でニュータイプを新型人間と呼んでいる


アナザーガンダムにおける類近種

SEED イノベイター Xラウンダー ネオス

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