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ニュータイプ

にゅーたいぷ

直訳すると「新しい型」。主に機動戦士ガンダムシリーズに登場する「宇宙に適応した新人類」を指す。
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解説

多くは機動戦士ガンダム、または宇宙世紀のガンダム作品にて用いられる用語。

直感力や洞察力が他の人間に比べて高度に備わっている者達を指す言葉で、『人類の革新』とも称されている。

また、その脳波を利用した兵器(サイコミュシステム)を使用でき、敵の殺気等を感知すると額から閃光を発する(無論アニメ的な演出である)。


作中では言葉を介さずに相手の意思を感じ取る姿から、まるでテレパシーのような能力を発揮する場面が多い一方、単に「感受性が豊かで相手の気持ちを察しやすいだけ」との解釈可能にもなっている。

ニュータイプとは戦争なんぞせずに済む人間のことだ、エスパーのことではない」とも言及されており、その定義は一定ではない。メタ的な設定が曖昧よりも、「ガンダムUC」では「定義が曖昧で人によって様々な解釈が語られている」との設定となっている。


極めて高い感受性と直感能力から、他者との言語を越えたコミュニケーションを図れるニュータイプであるが、非ニュータイプの人間とはあまりにも能力が異なる故に、言動が突飛になり過ぎる等して理解を得られなかったりすることも多く、『ニュータイプとは孤独な存在』でもある。

では同じニュータイプ同士ではどうかというと、共鳴し合っても相手のトラウマや触れられたくない感情をうっかり覗き込んでしまい、談判破裂して殺し合いになった実例も数知れない。

これらは「単に情報伝達が容易であるだけでは、人は分かり合えない」「どんなに交感能力が高かろうと、結局はそれを伝えるための普通のコミュニケーション技術を磨かなくては意味が無い」(SNSが発達した現代において、その実例を容易に目の当たりにできる)という厳しい現実を突きつけているともいえる。

流れ込んでくる他人の感情や想念、自分のストレスなどを上手く受け流したりコントロールしたりすることができず、精神的に不安定に陥ってしまうニュータイプも少なくない。


また、シーブック・アノー等ニュータイプと目される者の中には常人では耐えられない程の加速Gに平然と耐える者もおり、「機動戦士ガンダムUC」の小説内においてハサンは「ニュータイプ(宇宙に適応した新人類)とは異常に適応力の高い人とも言える為、体の負担に対しても適応力が高いのではないか」と持論を説いている。ニュータイプを凌駕していると誤解されがちだが強化人間の肉体強化はこの特性を強引に再現したものに過ぎない。


宇宙世紀シリーズでは作品が進むごとに、サイコミュシステムの進化に伴うパワーインフレが顕著であり、最初は勘が鋭い・テレパシーが使える程度だったのが、次第に搭乗機がオーラを纏ってあり得ない力を発揮するようになったり、巨大な小惑星をたった1機で押し返したり、遂には〈永遠の命〉の概念にまで踏み込むようになり、ファンの間では度々議論を呼んでいる。


富野由悠季監督の「ニュータイプ」

ガンダムシリーズの生みの親である富野由悠季監督は『機動戦士ガンダム』にて、主人公アムロ・レイと宿敵シャア・アズナブル、そしてララァ・スンの3人のニュータイプが繰り広げる悲劇を通じて、互いを理解し合える力を持ちながらそれでも殺し合ってしまう「人間の業」と「人類の革新とは何か?」とする、遠大なテーマを描き上げたことで、ロボットアニメでもその枠組みを破綻させずに、高年齢層の視聴に堪えうる作品作りが可能である事実を提示してみせた。


その後の『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』にかけて富野のガンダムシリーズ作品において、物語の中で大きな比率を占めるテーマとなっていく「ニュータイプ」であるが、富野監督は最初から明確な概念像を持っていたわけではなく、当初はあくまでも「戦闘の素人である筈のアムロが、いきなりモビルスーツを操縦して超人的な活躍ができることの言い訳でしかなかった」と語っている(当時は「我ながら凄いものを思いついた!」と歓喜したらしい)。

このニュータイプの観念を使って『機動戦士ガンダム』の後半2クールで「人間の革新論」について描く展開を考えた富野監督であったが、そもそも答えとなるような哲学を用意していなかったが故に上手く作劇に活かせずに困り果ててしまい、本放送時に43話に短縮しての打ち切りが決まった時は「心底助かった」と感じたと答えた。

こうして『機動戦士ガンダム』の劇中ではニュータイプの実体を明らかにせず(できず)に、断片的で抽象的な描写や言及に留めた結果、却って視聴者に強い印象を残すのに成功したのであった(富野監督曰く「上手く逃げ切ったと思った」)。


ところが、ガンダムが社会現象となると共に「ニュータイプとは結局何だったのか?」「真の人類の革新とは何か?」とファンの間で様々な議論と解釈がなされ始め、「ニュータイプ」の言葉が一人歩きするようになってしまう。

更にSF作家高千穂遙が自らのコラムの中で、SF作家の視点から劇中のSF考証の甘さやニュータイプの存在を論拠に富野監督の『SFマインド』の欠落を指摘し、「ガンダムはSF(サイエンスフィクション)ではない」と批判したのを皮切りとしてガンダムSF論争が勃発。

その中で当時の守旧派のSF作家やSFファン、評論家によってニュータイプの存在と演出への批判を受ける羽目になった(一応補足すると、この頃はまだミノフスキー物理学やニュータイプ周りの後付け設定が充実してなかった事情もあった。尚、富野監督自身は高千穂達の批判を概ね肯定している。

更に続編である『機動戦士Ζガンダム』の制作が決定してしまい、本来なら「もう考えなくていい」と思ってたニュータイプ論について再び向き合わざるを得なくなってしまい、富野監督は「完全に失敗だった」と後悔するようになる。


こうして、富野監督はガンダムと並んで自らが生み出したニュータイプ概念と向き合わざるを得なくなり、悪戦苦闘するようになって以降の富野作品(特に富野自身が手掛けた小説作品)ではニュータイプ概念の肯定と否定が同時に行われているような奇妙な様相を見せ、一時は「結局、ニュータイプ論はオールドタイプ(大人)とニュータイプ(若者)の対立という世代論でしかない」と結論づけた時期もあった(ちなみに、機動戦士ガンダムのキャラクターデザインを務めた安彦良和も、ニュータイプについて「ジェネレーションの別の謂い」と発言しており、「『世代論である』点」で富野監督の論と共通している)。


1980年代にファンや企業による科学的設定の考証等の裏付けを経て、ガンダムシリーズは1つの「長期的コンテンツ」として成長するが、その一方で富野監督自身は1993年の『機動戦士Vガンダム』制作において、(ある意味における)サンライズの裏切りに遭って精神的に疲弊。暫くの期間、アニメーション制作現場から離れる事態となる。

この期間中の1997年に、それまで「ソノラマ文庫版」「角川スニーカー文庫版」とで異なるストーリーラインでしか存在していなかった、活字としてのファーストガンダムに対して「将来、原作として認識されるだろう」との意図でTV・映画版のストーリーを改めて活字化した「密会 アムロとララァ」を角川スニーカー文庫から上梓し、ファーストガンダム放映当時は語り切れなかった(そして、放映から20年を経て変遷した自身の考えを纏めなおした上での)ジオン・ダイクンがニュータイプ論を語るに至った意図や、デギンがジオンの暗殺を実行した事実を明確化した。この「密会」を執筆した意図については、当時の監督が、常に商業を優先させるプロダクションや法人といったものに大きな不信感を持っており、広がりすぎたマーケットに対しての『原作者』としての抵抗であった実態が、あとがきから見て取れる。


その上で制作現場に復帰した富野監督は1999年の『∀ガンダム』を経た後も、「ニュータイプとは何か?」「どうしたらなれるのか?」との問いに自分なりの解釈を用いて答える試みを続け、2005年に小学館より刊行された山田玲司のインタビュー漫画「絶望に効くクスリVol.5」においては、山田の「ニュータイプとはなんですか?」との質問に対し、「洞察することの出来る力」「相手の思っていることを間違いなく理解できること」だと回答(山田はそれを総じて「他者を理解できる人」がニュータイプだと解釈している)。

そして、2005年~2006年にかけて公開された劇場版『機動戦士Ζガンダム(新訳Ζ)』において富野監督は、「真のニュータイプとは、今までのニュータイプ論で描いた精神的な共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣の人を大事にするために活かすことができる人である」=隣人愛の結論を描き、新訳Ζのカミーユ・ビダンこそ究極的なニュータイプとする現状の結論を描いている。

この“結論”については福井晴敏氏も「最も真のニュータイプに近づけたのはカミーユ・ビダンをおいて他にいない」と語る等、他の作家にも影響を与えている。


『kotoba2021 年秋号No.45 人類は「ニュータイプ」になれるのか 富野由悠季インタビュー』71ページにおいてなぜカミーユがニュータイプ最高なのかという問いに、「カミーユだけは全能者を目指させようとして精神崩壊した。これがカミーユがニュータイプ能力最高と自分が言った理由だ」と述べた。「全能者になれば普通の人間でいられない、この矛盾の中でカミーユは壊れてしまった。全能者のニュータイプなど生まれでるわけないと近未来の世界で悟った。これが敗北であり、僕自身がニュータイプになれなかった理由だ」と述べている。


宇宙世紀におけるニュータイプ

作中で最初にニュータイプの存在を提唱したのはシャア・アズナブルことキャスバル・レム・ダイクンの実父ジオン・ズム・ダイクンであり、U.C.0050の頃にはその思想『ジオニズム』の中で出現が予言された。

ジオニズムによれば“ニュータイプとは過酷な宇宙環境に進出・適応し、生物学的にも社会的にもより進化した新人類である”としている。

彼はこれを「第三のルネッサンス」(第一はサルから人へ、第二は中世から近代へ)と評し、「スペースノイドからこそニュータイプが生まれる」としてスペースノイド(宇宙居住民)の希望を煽ると共に宇宙移民の正当性を主張、当時地球連邦政府の専横に苦しめられていたスペースノイドの独立を訴えてジオン公国の前身であるジオン共和国を建国した。

しかしながら、ダイクン自身も“人類の革新”等を心底から信じていたわけではなく、地球とは月を挟んだ位置の「僻地」であるサイド3に移民させられて逼塞し、内向的にならざるを得なかった共和国民達に「次なる銀河、次なる星雲」とのアドバンスド・ステージを示し、彼らの心に潤いを与える為に提示したテーゼでしかなかった。更に根本へと辿ると「自らが提唱した『コントリズム』と『エレズム』の実行の為に、多くの人間を巻き込んでいる事態に対する自己欺瞞である」と、実子であるキャスバルは見抜いている(「密会」より)。


それでもダイクンの存命中は、思想的なコントロールは可能であったが、歴史の通り彼は暗殺され、残された全ての人間が、ダイクンが明確な答えを出さないまま遺したテーゼをあるいは利用し、あるいは運命を狂わされていく事態になる。


ダイクン死後のニュータイプ思想

ニュータイプの存在は、ダイクン暗殺直後のジオン政府関係者の間でも懐疑的な見方をする者も多く、ジオン公国総帥ギレン・ザビのように「ジオンのナショナリズムを補強し、国内の反連邦の気運を高める政治的方便としては使える」程度の(一面では正しい)認識の者の方が多数派であった。


しかしU.C.0079年に一年戦争が始まると「亜光速で飛来するメガ粒子砲を高確率で回避するパイロットがいる」との報告がなされるようになり、ニュータイプ論の理想的側面に一定の理解があった、ジオン公国軍突撃機動軍司令キシリア・ザビによってニュータイプ研究所フラナガン機関が設置され、本格的な研究が開始された。

そして並外れた認識力や直感力、感応波(サイコ・ウェーブ)と呼ばれる特殊な脳波を持った人間達--中でも圧倒的なまでの才覚を示したララァ・スンによって、科学的・工学的に実証データが得られた事実により、ジオニズム信奉者は「彼らこそ予言されたニュータイプ」と捉えてジオニズムの正当性を確信し、その理念をより強固なものとしていった。


だが同時に、キャスバルにさえもニュータイプの実在を確信させたララァ・スンの“発見”によって、ダイクンが用意していたシナリオが、以降完全にコントロール不全となってしまった歴史は、皮肉と見る他無い。


結局、ダイクンが語った「お互いに判り合い、理解し合い、戦争や争いから解放される新しい人類の姿」とされた理想のニュータイプ像とは裏腹に、ニュータイプが機動兵器のパイロットとして高い適性を示していた現状から、サイコミュ・システム及びこれを利用したニュータイプ専用機が開発され、ニュータイプはその能力を戦争の道具として利用されていく。

一年戦争開戦前こそニュータイプの存在について、否定的ないしは軽視していた地球連邦であったが、ニュータイプパイロットと目されたアムロ・レイが驚異的な戦績を挙げた事情から、戦後はニュータイプに注目せざるを得なくなった。


ただし、元々ダイクンの説いたニュータイプの定義が漠然としたものであったり、戦後にマスメディアで取り上げられたアムロの証言があまりにも抽象的であったのも重なり、大衆マスメディアも次第にアムロの発言を取り沙汰しなくなっていき(小説版「機動戦士Zガンダム」より)、連邦関係者やアースノイド(地球居住民)の間ではジャミトフ・ハイマンのように「エスパー、またはミュータントみたいなもの」との即物的な見方をする傾向が強まっていき、中には寧ろその存在を危険視する勢力もあった。


それでも尚、戦闘におけるニュータイプの有用性は無視できないものであり、連邦は政治的ポーズとしてはニュータイプへの否定的態度を見せつつも、ジオンのフラナガン機関のノウハウを吸収する形でムラサメ研究所を始めとする、複数のニュータイプ研究所を設立。更にそこから民間にもニュータイプ及びサイコミュに関する基礎データと技術が流出・拡散し、様々な勢力によって数多くのニュータイプ専用機やサイコミュ技術、そして人為的にニュータイプ能力を発現させた強化人間が生み出されていった。


一方、アムロをはじめとする「実際に出現したニュータイプ」が機械的手段で「強い直感力と感応波を持つ特殊な人間」である実態はわかっても、ニュータイプへの進化が個体の認識や意識によって齎される変革であるとする以上、ビスト財団創始者サイアム・ビストが言及したように、それが本当にラプラスの箱やジオニズムが定義した「人類の進化形」であるかどうかを生物学的に証明するのは不可能であった。

更に突き詰めれば、実際にはアムロやララァを始めとして、地球で幼少期を過ごした者やアースノイドの両親を持つ者達からもニュータイプは現れており、レビル将軍達が言及したように「実際に出現したニュータイプは、本当にジオニズムで語られたニュータイプ(=宇宙に進出したことによる人類の革新)と同一の存在なのか?」との根本的な疑問を(ダイクン本人でさえ確信していなかったので、当然ながら)残す羽目になる。


U.C.0093に、アクシズ・ショックと呼ばれる事象となる、“奇跡”を多くの人間が実の目にし、U.C.0096には元来の宇宙移民に対する“祈り”を解放した「ラプラス宣言」が地球圏全体に発信されるも、結局「人々」は日々の生活に忙殺されてそれらを無為に消費し、忘れていくだけであった。

そればかりか、既に“力”を持つ人間の中から自身の利の追及を深め磐石にせんとする者、あるいは自身の理の『仮説』によって罪を禊がんとする者が現れ、“必然”として消えていく歴史ばかりが繰り返された。


やがて人が宇宙に出て100年を過ぎる頃には、「感応波」の科学的な解析が大きく進み、これをより工学的・効率的に扱うネオ・サイコミュや、逆に“素養”が全く無い人間でも思考制御を可能とするバイオコンピュータに代表される革新技術が生まれると、ニュータイプの存在が内包していた神秘性は更に薄まっていった。この為U.C.0123には最早、本来の意味に近い認識を持つのは鋭い感性を残したほんの一握りの者達に限られ、『ニュータイプ=パイロット適性の高い人間、モビルスーツに関するエキスパート』に類する認識が一般的となる。


最終的にはU.C.0153に、地球で生まれ育った生粋のアースノイドでありながら高いニュータイプ能力を持つウッソ・エヴィンが現れて、ニュータイプを根拠にスペースノイドの優位性と正当性を説いたジオニズムはついに根底から崩壊する。


しかしあるいはウッソと、そして同じく『地球という質量』を内包するが故に強い感受性を有するに至ったシャクティ・カリンが、「家族」の形で互いを支え合うようにして、健やかに素養を伸ばしていた事実は、『ニュータイプの素養は最初から誰にでもあり、他者と正しく触れ合う暮らしの中で、等しく開花させられる希望を示したのかも知れない(すなわち、後述するガンダムXの「幻想」結論と同じ面を持つ)。


宇宙世紀の終焉から数世紀後のリギルド・センチュリーでは、半ば伝説としてその名を残すのであった。


サイキッカー

宇宙世紀0153年の時代を描いた『機動戦士Vガンダム』では、新たにサイキッカーとの概念が登場するが、時代の変遷と共にニュータイプの呼称が変化したものなのか、それとも亜種や全くの別物なのかは語られていない。サイキッカーの単語自体は「念動力者」を指す為、この呼び方はサイコミュ兵器を扱う人間の総称となっている(サイコミュ要塞エンジェル・ハイロゥを起動させる、そして冷凍睡眠によって次なる人類の雛型とする等の為にフォンセ・カガチにより、木星圏も含めて2万人が集められていた)。

これらの状況を加味すると、ニュータイプの名が廃れたのは、単に廃れただけでなくその定義から逸れた能力を持つ者が増えた現状も原因なのかもしれない。


尚、ゲーム作品ではニュータイプと同質に扱われているものが多い。

長谷川裕一作品でのサイキッカー

Vより約20年前の世界が舞台の漫画『鋼鉄の7人』、Vと同じ時代の漫画『プロジェクト・エクソダス』・『ゴースト』(全て長谷川裕一作)にも、サイキッカーが登場する。

これらの作品では、心さえ欺く能力を持つもの、サイコミュ波の流れを読む者などの今までのニュータイプと呼ばれた人たちとかけ離れた能力を持つ者もこの定義に含まれる。

ちなみに長谷川氏が手がけた機動戦士クロスボーンガンダムの短編集、スカルハートの収録エピソードの『猿の衛星』では、ニュータイプ能力を会得した(と思われる)が現れるというジオン・ズム・ダイクンが提唱した「人類の革新」というニュータイプ論を前提から覆す事例が発見された。


宇宙世紀におけるニュータイプと兵器

上述の鋭い直感による反応速度やサイコミュに対する適性がある等、兵士として見た場合のニュータイプは、常人(オールドタイプ)と比較して様々なアドバンテージを有する。中でも最大のアドバンテージはレーダーが無効化された有視界戦闘下において、超長距離の敵機を的確に補足可能とする感応力である。

モビルスーツの推進剤、空気(バイタル)の積載量は小さく、艦艇による運搬・補給が必須となる。このため宇宙世紀における戦略は、「如何に多くの敵艦を撃沈するか」が主題となるが、ミノフスキー粒子下ではセンサーや長距離誘導ミサイルが無効化されている以上、敵艦に近づくには前衛(モビルスーツ部隊)を突破せねばならない。

ニュータイプは高い感応力によって、モニターにドットサイズでしか表示されない(場合によっては完全に視認外の)超遠方に位置する対象の正確な把握が可能な為、戦闘機動を行いながらの精密狙撃や、敵機のアウトレンジから一方的な攻撃が出来る。例として、ニュータイプ部隊の有用性を示したエルメスのテスト戦結果は、モビルスーツの移動可能範囲外から戦艦十二隻撃沈、モビルスーツ四機撃墜であり、この戦果は熟練の兵士が命がけで挙げた戦果が「遊び以下」となる程のものであった。

百式のメガバズーカランチャーによるドゴス・ギア狙撃のような直接的な戦果は無論であるが、戦場の広域をリアルタイムで把握できる優位性は語るまでのないものであり、事実、ガンダムタイプに搭乗したニュータイプのパイロット達は、敵要塞の急所や敵艦隊の旗艦を正確に捉えた強襲によって戦局を自軍優位に傾けている。

最終的に宇宙世紀150年代には、サイコミュ・センサーの高精度化に伴い、それまでミノフスキー粒子下における戦闘ではナンセンスとされた、メガ・キャノンによる超長距離からの艦艇撃沈を目的としたザンネックゴトラタン等の開発・運用に至っている。


アフターウォーにおけるニュータイプ

アフターウォー(『機動新世紀ガンダムX』の世界)でも同じニュータイプの言葉が出てくるが、宇宙世紀と意味合いがやや違う。詳しくは個別記事を参照。


オールドタイプ

ニュータイプの対義語として、オールドタイプが登場する場面がある。

これは従来の人間を指す言葉で、やや軽蔑的な意味合いを含んでおり、地球に住んでいる人間を指す言葉として使われもする。

ただし、スペースノイドであろうとみんながみんなニュータイプになれるわけではない。他者とわかり合おうとせず、自らが理解し得ないモノを拒絶する人間は地球人であろうとスペースノイドであろうと、みなオールドタイプであると酷評できる。


但し、上記の様にニュータイプあるいはニュータイプを語るスペースノイドの攻撃によって生じる偏見が拒絶の一因なので、一概にオールドタイプ側の狭量が問題な訳ではない。

オールドタイプがニュータイプを圧倒した例としては、一年戦争では連邦軍人のユウ・カジマがシミュレーターでは有るもののアムロ・レイの乗ったガンダムに勝利しており、グリプス戦役ではティターンズヤザン・ゲーブルカミーユ・ビダンΖガンダムを僚機との連携で手玉に取る等の、卓越した技量を発揮している。


アナザーガンダムでは、自分がXラウンダーではない事実に劣等感を抱いていたものの、それを克服すべく絶え間ない努力の結果、Xラウンダーとも互角以上に戦えるようになったアセム・アスノや、一度は破れたものの、仲間の協力や自身の努力でニュータイプに勝利し、更には持ち前の人間性でオールドタイプでありながらも、そのニュータイプとも分かりあったガロード・ラン等が該当するだろう。


ガンダムが参戦・登場するゲーム等の扱い

スーパーロボット大戦シリーズ

 パイロット技能として扱われる。

 サイコミュ兵器の適性に加え、攻撃を行う際の命中率、攻撃を回避する際の回避率等に補正を掛ける扱いが多い。また、ニュータイプ専用武器の射程が延びる、一部の防御技能の発動率が上昇するなどの効果がある。

 一時は命中回避の補正が大きく、オールドタイプとの間に極端な能力差ができてしまう状況だったが、近年はその差が少なくなっている。強化人間よりも補正倍率が大きく取られる作品が多い。


 ガンダムXのニュータイプは技能名こそ分けられているが、能力補正そのものは宇宙世紀のそれとまったく同じ。ただし、Gビットの射程は最高レベルでも1しか伸びない、能力喪失者はレベルが1で上がらない(補正もかからない)か成長が遅くなるようになっていたり、サブパイロットでは能力補正が得られない(Gビットの射程が延びるだけ)等、宇宙世紀のニュータイプと比べるとキャラ付け的な位置付け。


Gジェネレーションシリーズ

 上記のスパロボとは異なり、飽くまでも『NTL(ニュータイプレベル)値』又は『覚醒値』と呼ばれる、パイロットのステータスの1項目に加えられている。

 概ね上述のスパロボに似た補正が掛かるが、作品規格毎に微妙に異なる。


PS規格

 『NTL値』の名義で表記された。この頃は「TYPE」の項目が存在し、『ニュータイプ』『ノーマル』『強化人間』の3つに分けられていた。初代のヒイロと人工ニュータイプのカリスは強化人間、オールドタイプとG・Wのキャラクターはノーマルにカテゴライズされる。

 スパロボに近い扱いだが、NTL値は完全に初期から持っているキャラクターしか伸びない項目だった。

 しかも、戦闘システム的に「『NTL値の差異』が大きい程、命中・回避に補正が掛かる(=オールドタイプも該当)」する為、この時期はニュータイプが圧倒的に有利だった。

 一応、強化人間にすればNTL値を付与出来るが、レベルUPに必要な経験値が膨大化する、撃墜されるもしくは母艦を失い白旗を上げると、廃人化してレベルが最初期に戻される等のデメリットも存在する。また、必ずしも高くなる訳ではない為、キャラクターによっては弱くなる場合もあった(尚、GジェネFに限れば拡張ディスクの『GジェネF.I.F』を使用すれば、ニュータイプへの覚醒が可能)。


PS2前期

 GジェネレーションNEO及びSEEDが該当。これ以降は『NTL』から『覚醒値』に名義が変更された。PS時代の『TYPE』の項目を排除し、所謂ニュータイプ能力を純粋に数値化して、ジェリド、エマ、ヤザン、クロノクル、カテジナ等のニュータイプの素養が見受けられるも、ニュータイプと断ずるには決定打に欠ける人物の能力の表現に一役買っている。しかし、この頃は覚醒値の扱いが相当特殊だった。

 まず始めに説明したいのが、この規格のみに存在する先読みプレッシャー等の、一定の確率で発生する特殊状況の概念である。

 先読みはいわゆるファストアタックであり、相手からの攻撃を先に反撃し、プレッシャーは受けた側がノーガードになってしまう。

 先読みは覚醒値を持たないオールドタイプ同士でも発生するが、プレッシャーは覚醒値を持つニュータイプ同士が戦うと発生する。

 つまり、覚醒値は先読みやプレッシャーの発動率に大きく関係する要素なのである。

 先天的なニュータイプでないキャラクターを覚醒させたい場合、先読みを発生させる自分より覚醒値の高い相手を倒す等で覚醒、以降はレベルアップでも得られるようになる。

 覚醒値はリミットブロック増加にも関係する為、覚醒値の高いキャラは確かに強力だが、その代わりこちらもプレッシャーを受けるリスクも存在する。

 その為、オールドタイプ対ニュータイプの場合はプレッシャーが発生しない=安全に戦える為、オールドタイプにも相応の戦略価値を持っている。

 また、原作で超人的な闘気を放ったドモンと東方不敗、兄弟同士の感応能力と凄まじい邪気を見せつけたフロスト兄弟、そしてコーディネイター並びにSEEDを持つ者と、原作で眉間に稲妻を走らせた描写があるラウとムウ等の、アナザーガンダム出身の一部の人物にも覚醒値が付与されている。

PS2後期

 GジェネレーションSPIRITS以降の作品が該当する。

 概ねPS規格に回帰しているが、ニュータイプになれるのはキャラクター毎に完全固定になり、強化人間にもなれない。

 しかし、覚醒するにはキャラクター毎に、ステータス項目を規定値まで(キャラクターにもよるがLvまで)上げる必要があるのが難点(勿論、初期からニュータイプならば該当しない)。

 但し、これは逆に考えると、覚醒値が他の項目の数値を奪う仕様でもある為、オールドタイプは基礎ステータスを高め易い仕様になっている。

 ニュータイプと強化人間の概念自体は、パイロットアビリティとして形を変えて復活している。


尚、据え置きハードでの現時点の最新作である『クロスレイズ』では、大枚をはたけば誰でもニュータイプになれる(ただし、クロスレイズには宇宙世紀作品が出ず、ニュータイプという要素がある作品もDLCのガンダムXとGのレコンギスタだけになっているため、厳密には「ニュータイプ」ではないが)。



その他の意味

雑誌

角川書店(現KADOKAWA)が発売している総合アニメ情報誌月刊ニュータイプ(正式には英字表記の「Newtype」)。

語源はガンダムの「ニュータイプ」で、創刊号の表紙はガンダムMk.IIが飾っている。


石鹸「ニュータイプ」

牛乳石鹸が発売するデオドラント石鹸の1つ


115系体質改善40N施行車

新車並に改装された115系JR西日本広島支社が「山陽シティライナーは転換シートを備えたニュータイプ115系で運転」と謳ったことから。


関連タグ

ガンダム サイコミュ サイコ・フィールド 宇宙世紀 強化人間

悪代官(ゲーム):ガンダム関連パロディが多く、作中でニュータイプを新型人間と呼んでいる


アナザーガンダムにおける類近種

SEED イノベイター Xラウンダー ネオス

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