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センシティブな作品

フェアチャイルド24

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ふぇあちゃいるどにじゅうよん

 フェアチャイルド24とはアメリカのフェアチャイルド社が1932年に初飛行した軽飛行機である。

概要

 フェアチャイルド24とは高翼の単葉機でアメリカ陸軍ではUC-61として採用され、こういった機体が少なかったイギリス空軍にもフェアチャイルド アーガスの名前で採用された。セスナ172ほどではないが1933年から1948年まで大規模なモデルチェンジ無しに2200機は生産し成功を収めた。

フェアチャイルド24開発までの歴史

 フェアチャイルド社の創業者シャーマン・フェアチャイルドは空中カメラの開発している時に「まともな飛行機がねぇ」(意訳)と憤慨していた。

 この当時の機体は複葉機が主流のため下部の視界が遮られる上に高高度の安定性も悪かった。おまけに胴体が狭いのと吹きっさらしのため、カメラの取り回しにも難があった。

 頭にきたシャーマン・フェアチャイルドは自分の要求にあった飛行機を作ろうと決心した。

このような経緯で始まったフェアチャイルド社は外観こそ野暮ったいが、頑丈で安定性も良いので航空撮影の他にも使用された。

 だが、1929年の大恐慌によって飛行機の受注が激減したので、フェアチャイルド社は個人顧客向けの信頼性が高く頑丈な小型の機体の開発を目論んだ。2座席の練習機フェアチャイルド22はある程度成功したが、オープンコックピットだったので密閉式キャビンに改良した機体を制作した。この機体が後のフェアチャイルド24である。

  

歴史

デビュー

 1932年に初飛行したフェアチャイルド24はブレーキや開閉式のウインドウなど多くの部品をありふれた自動車部品から流用することでコストを抑えることができ、メンテナンスも単純化することができた。他にも操縦性の良さと居住性で1930年代はじめに人気を集めることになった。

当初は2人乗りだったが、1933年に後部座席が取り付けられ3人乗りとなり、スタンダードは1938年に4人乗りに改良された。(フラップなどが取り付けられたデラックスは3人乗りのまま生産した)

軍用として

 やや大型でパイパーカブやドイツのシュトルヒのような気軽さはないものの頑丈で整備性の良さで知られたフェアチャイルド24は早くからアメリカ軍の目に留まり、1936年にアメリカ海軍が研究用および機上訓練機としてGK-1とJK-1の記号で採用した他、陸軍が軽輸送機として採用し、沿岸警備隊もJ2-Kとして採用した。 市民航空警備隊も、多数のフェアチャイルドUC-61/24をパイロット救助用として運用し、何機かは第二次世界大戦の初期に2発の100ポンド爆弾を搭載して東海岸のUボートの警戒に使用された。(メイン画像で使用した機体もその中の一機である)

 1941年にアメリカ陸軍がC-61として163機の発注が行われたが、そのうち161機はレンド・リース法で海外に供与されることになった。このC-61を含む525機のフェアチャイルド 24はイギリスに送られ、アーガス Iとして使用され、性能向上型のアーガス IIとともに航空輸送予備部隊(ATA: Air Transport Auxiliary)に配属され、工場から実線基地に航空機をフェリーするパイロットの輸送に用いられた。さらにエンジンをレンジャーエンジンに変更したアーガス IIIも生産された。

 イギリスでは前述の通りパイロットの輸送や軽貨物運搬などのに使う機体が少なかったためかなり重宝されたようである。

戦後

 終戦後にフェアチャイルド社はテキサス・エンジニアリング・アンド・マニュファクチャリング・カンパニー(テムコ)に製造権を売却した。テムコでは280機を製造したが、帰国した軍のパイロットへの個人需要を過大評価したことや払い下げの機体により市場が崩壊したことで生産を止め、カンザス州ウィンフィールドの在庫部品からも組み立てられたが、1948年を最後に製造される事はなかった。

 一方、戦前からの生き残りや軍の払い下げ、戦後に製造されたフェアチャイルド24達は小型チャーター機やブッシュプレーン(未開発地で使用される汎用飛行機)として世界のあちこちで活躍した。

現代

生産終了から70年以上が経過し、フェアチャイルド社が消滅して久しい現在でもタフなフェアチャイルド24は中古機市場で人気のある機体であり、飛行機としては手頃な価格であることから多く生き残っている。

機構

機体

 ・胴体と尾翼は木金混合で主翼は木製の骨組みの布張りという1920年代のオーソドックスな構造の機体だったが、ハードランディングにも耐えられるようかなり強固に作られたため(当時の規則では現代よりも機体強度が高く決められたという理由もあるが)10G近くまで耐えられると噂になるほどだった。

 ・元がビジネス機として設計されていたので、内装にも注意が張られていて、レイモンド・ローウィにデザインを依頼し上品さと快適さでも有名だった。(当時の小型機は内部はフレームがむき出しで椅子も軽量化のため藤の椅子が用いられたので、長時間の飛行は快適とは言い難かった)

エンジン

 ごく初期型はフェアチャイルド22と同じアメリカンシーラスエンジンを搭載していたが、非力だったのか後のモデルでは空冷星形のワーナースカラブか直列のレンジャーに換装された。

 特にレンジャーエンジン搭載機は空冷ながら、機首は液冷式エンジンのようにスマートに整形されていたのが特徴だった。

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