1976年4月25日生まれ、千葉県出身。ニックネームはグラバカのヒットマン。
柔道やキックボクシングの練習をしていたが、グラバカの菊田早苗と出会いグラバカに移籍した。
2001年5月パンクラスでデビュー、ネオブラッドトーナメントで優勝。
パンクラス時代はネイサン・マーコートとタイトルを争ったがタイトルを獲得できなかった。
2005年PRIDEに出場するようになる。
2006年8月4か月前に1度負けているダン・ヘンダーソンに判定勝ちし、日本人キラーだったヘンダーソンに初めて唯一勝った日本人となる。
2006年11月PRIDEウェルター級グランプリで準決勝で負けたのだが、相手のパウロ・フィリオも負傷して棄権したためリザーバーとして決勝に進出、デニス・カーンに判定勝ちしウェルター級グランプリで優勝、PRIDE史上2人目の日本人王者となる。
2007年12月、戦前から秋山選手は2006年12月の桜庭戦で何人もの人達を裏切っている絶対に許せないと語っていた(本人談)秋山戦を実現させる(デニス・カーンが秋山の復帰戦で負けた事も関係ある)、尋常ならざる緊張感が漂う試合となったが左フックでダウンを奪い蹴り上げでKO勝ち、しかし後日に裁定の変更で無効試合となった。
日本人である事に誇りを持っており、試合後に日本人は強いんですという決め台詞があった。
2006年9月頃から、何事にも一歩を踏み出すというメッセージを伝えるために試合をしていた。
人間は死ぬ時に誰々に勝てなかったとか王者になれなかったとか優勝できなかったとかは思わないんじゃないかと思うんです、その事に対して真剣に向き合ったかどうか、完全燃焼したかどうかが重要(本人談)、と結果よりも過程が大事という精神的思考の持ち主。