人物
桐壺帝の第八皇子。母は大臣家出身の女御。朱雀帝・光源氏・蛍兵部卿宮らの異母弟。
高貴の人らしく鷹揚な性格であるが、それが災いして世間知らずでしっかりしておらず、没落していくようになる。仏道や音楽を嗜む。
源氏物語の登場人物の中では、不遇の立場であり、光源氏の栄華の犠牲となった人物。
生涯
高貴な母方を持つ皇子として生まれ、北の方も大臣の娘であることから、若い頃は有力な親王として将来を期待されていた。
しかし光源氏に反感を持つ弘徽殿大后によって、源氏が後見人となっていた当時の東宮、第十皇子(後の冷泉帝)を廃太子するための対抗馬として担ぎ上げられてしまう。そのために光源氏とは疎遠となり、源氏の栄華の世では忘れ去られた存在であった。
父帝や母の女御を早くに亡くした後は頼れる後見人もおらず、裕福ではない暮らしをしていた中で、八の宮の慰めは北の方との仲の良い夫婦関係であった。やがて長女の大君が生まれ、続いて次女の中の君も生まれるが、北の方はその出産がもとで亡くなってしまう。
最愛の人を失った悲しみに耐えきれず、出家しようと思うものの妻の遺言により、娘二人を育てる決意をする。しかし、暮らしは心細く次々に使用人や中の君の乳母は去っていくなかで、追い打ちをかけるように都の屋敷が火事で焼失。
この出来事を契機に宇治の山荘に娘たちと共に隠棲した。
宇治の阿闍梨に師事して長年仏道に専心し、深い知識と道心を得るものの母を亡くした二人の娘が気掛かりで出家する事もままならずに俗体のままで過ごし、「俗聖」とも呼ばれていた。
あるとき、師の阿闍梨が冷泉院に八の宮の暮らしぶりついて話していた時、その場に居合わせた薫も八の宮の存在を知る。厭世心の強い薫は「俗聖」八の宮に興味を持って文通を始める。その後、薫が宇治に訪れては、八の宮の生活の援助をするなど親交を深めるようになった。
数年後、八の宮は重い厄年を迎えて死期を感じ、中納言に昇進した薫に改めて娘達の後見を託した。その後しばらくして山寺に参籠するが、そこで病になり、八月二十日前後にそのまま死去した。遺体は娘たちと対面することもなく、阿闍梨の指示で葬送される。
前半では、清らかな人間として描かれていたが、死後北の方に仕えていた女房に娘(後の浮舟)をひとり生ませていたことが発覚。
さらにはその子どもを認知せず、親子共々追い出した事が判明。
仏に身を捧げてはいても、結局は俗人であった。
呼び名
宇治八の宮 | 宇治に住んでいた事から呼ばれた。 |
---|---|
俗聖 | 仏道に専心しているが、俗体のまま過ごしていることから |