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國府合戦

こくふかっせん

國府合戦(こくふかっせん)とは、『各地の國府で勃発した合戦』で有る。
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國府の合戦の歴史編集

  • 平安時代の、天慶二年(939年)十一月二十一日に、

平小次郎將門が、叛乱を起こした時に勃発した常陸國の國府での合戦は、『常陸國府合戦』と呼ばれて行る。

  • 建武二年(1335年)八月十四日に、

足利又太郎高氏が弟を救う為に、北條次郎時行を討伐した時に勃発した駿河國の國府での合戦は、『駿河國府合戦』と呼ばれて行る。

  • 室町時代初期(南北朝時代)の、建武五年(延元三年・西暦1338年)四月八日に、

南朝菊池次郎武重恵良小次郎惟澄の連合軍に、肥後國飽田郡に在る國府を奪取された時の合戦に付いては、

『日本帝邦歴史の中』で『特に名前が無かった状態の合戦で在った』が、

『隈本縣菊池市史・上巻』や『隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世』で、

『肥後飽田の國府』や『肥後飽田國府』と『記載されて行る状態』に拠り、

藤原朝臣二川兵庫左衛門光綱』に依って『肥後飽田國府合戦』と名付けられた。

  • 室町時代初期(南北朝時代)の、康安元年(延元26年・西暦1361年)八月十六日に、

南朝征西府大將軍鎮西宮懐良親王菊池十郎武光が、筑前國御笠郡太宰府に在る筑前國の國府を奪取した合戦が有った。

筑前國御笠郡太宰府に在る筑前國の國府が、征西府の御在所に成った。

  • 室町時代初期(南北朝時代)の、應安五年(延元37年・西暦1372年)八月十二日に、

九州探題今川了俊貞世の南朝討伐軍が、筑前國御笠郡太宰府に在る筑前國の國府を、南朝の征西府から奪還した合戦が有った。


参考文献編集

  • 佐賀縣佐賀市史・第一巻(佐賀市史編纂委員会。1977年7月)
  • 隈本縣菊池市史・上巻(菊池市史編纂委員会、1982年3月)
  • 隈本縣新隈本市史・通史編・第二巻・中世(新隈本市史編纂委員会、1998年3月)

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