概要
河内型戦艦のネームシップ。旧日本海軍としては最初で最後の弩級戦艦であり、薩摩型戦艦の拡大改良版だった。
艦体
河内は、基本計画番号「A-30」が付され、本級は摂津の「呂号戦艦」に対する「伊号戦艦」として計画され、1910年10月15日に進水した。その後1912年3月31日に竣工され、1914年8月10日に就役された。都合上、舷側には45口径砲を、艦首・艦尾には50口径砲を採用していたため、射撃管制に難が生じていた。第一次世界大戦中には、青島の戦いにおいて、ドイツ軍の拠点に対して艦砲射撃を実施している。
終焉
1918年7月12日に徳山湾で火薬庫の爆発事故により沈没した。621名が殉職。その後、これと似た爆発事故に戦艦陸奥が挙げられる。