概要
登場当時はフローリアンの後継としてフローリアン・アスカと名乗った。初代はいすゞ内製(GMのグローバルカー Jカー)、2代目アスカCXは富士重工製(レガシィのOEM)、3代目と4代目は本田技研製(アコードのOEM)という、内製よりもOEM世代の方が多いクルマであった。
GMグローバルカーの一車種として登場
1980年代初頭、いすゞの親会社であるGMが打ち出した世界戦略車、Jカーの一車種として登場した。
親元といわれるオペル・アスコナCは1981年に登場。
アメリカではシボレーブランド(キャバリエ)やキャデラックブランド(シマロン)、イギリスではボクスフォール・キャバリエでも姉妹車が販売された。
当のいすゞアスカは遅れること2年、1983年に登場。
いすゞらしくディーゼルエンジンを売りとしていたが、ニューセラミクスを採用した噴射ポンプは世界初といわれ、後に追加されたディーゼルターボエンジンは一時世界記録を残した。
また、NAVi5という機械式ATが設定されたが、これも日本初(世界初?)の採用であった。
地味なモデルであるが、意外にも世界初である部分も多い。
いすゞの乗用車で初のFF化を果たされた車両でもあった(商用車ではエルフ・マイパックが初)。
先述の通りヨーロッパにはオペル、アメリカにはGM仕様が存在していたが、いすゞアスカもアジアやオセアニアなどには輸出され、タイでは「アスカ」、ほかのアジアでは「いすゞJJ(JJとはアスカの型式記号の頭部分である) 」、オセアニアではホールデンブランドで「ホールデンJJ」、南米では「シボレー・アスカ」の名で販売されていた。
先代譲りの業務用車体質
アスカはフローリアンの後継であったことから、先代同様、業務用セダンとしてのシェアも高かったことで知られる。
東北地区を中心にタクシー仕様車が、一方教習車としては全国的に普及した。
このクルマを知る人の多く(だいたい2016年において40代以上の人間)は、おそらく教習車としてお世話になった人が多いのではなかろうか。
また、モデル末期には警察当局に機動捜査車両として導入されていた。
教習車の多くはアスカの特徴であったディーゼルモデル、タクシーもディーゼルが主体であったが、非常に希少なモデルとしてLPG仕様の設定もあった。
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モデル中期にあたる1985年、ガソリンターボ車にホットモデルであるイルムシャー仕様が設定される。
外観上は角目4灯のヘッドライト、前期型ベースのフロントグリルに「ISUZU」のロゴ(一般型はいすゞのコーポレートマークであった)、フロントスポイラー付き専用バンパーに、特徴的な専用ホイルキャップを与えられ、アスカとしては現在教習車と並んで広く知られる仕様と思われる。
現存する多くのアスカはこのイルムシャー仕様である。
このイルムシャー仕様は後にピアッツァやジェミニ、ビッグホーンにまで展開される人気仕様となるが、元祖はこのアスカであった。
ラリーGB
WRCのイベントのひとつであるラリーGB(RCAラリー)に1983年から1985年の、合計3回参戦、1984年にはグループAで優勝を飾った(総合35位)。
その後は細々とOEM仕様に
このように世界初の項目が並んだアスカであったが、残念ながら販売上は振るわず、1989年には生産を終了。
総生産台数は108,512台(いすゞHPより)。
それでも15年生産された「先代」フローリアンに5年近くで一歩手前まで追いついた。
2代目は前述のとおり、当時提携関係にあった富士重工からレガシィセダンのOEM供給を受け販売。
その後は本田技研工業との提携で、3代目、4代目はアコードセダンの
OEM供給を受け、2002年のいすゞの乗用車完全撤退まで販売された。
そんな遍歴から、初代はディーゼルにNAVi5、2代目は水平対向4WD、3代目は3ナンバー、4代目はVTECという、各社の技術が飛び交う珍車となった。
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