いつになったらわかるのだろう いつになったらわかるのだろう
概要
ピート・シーガーがこの歌詞書いたのは1955年。きっかけは飛行機の機内でたまたま読んでいた小説『And Quiet Flows the Don』(静かなるドン:作者はミハイル・ショーロホフで、黒海沿岸のドン地方に住むコサックたちの力強くも悲しい生き様を描いた作品)に引用されていた詩の一節
コサック民謡の歌詞
少女たちはどこへ行った 少女たちは嫁いで行った
どんな男に嫁いで行った ドン川のコサックに
コサックたちはどこへ行った 戦争へ行った
※コサックとは
十五世紀ごろ、大国に支配されるのを拒み自由を求めて、ロシアから逃げ出し、南方ロシア(今のウクライナ)に移り住んだ人達のこと(『コサックダンス』はウクライナ発祥の伝統文化。)
多くの血が流された末、彼ら(コサック)とウクライナは十八世紀後半、当時のロシア帝国に併合されてしまった。
ロシアの目的は『ウクライナは穀物の宝庫だから、穀物を奪って外国に売って外貨が稼ぐ事』で、容赦なく食料を奪われたウクライナは飢饉が頻発。二十世紀のロシア革命後も続けられ、1930年代に起きた大飢饉『ホロドモール』では数百万人のウクライナ人が餓死させられてしまった。
迫害と略奪に翻弄され続けたウクライナで、いつしか歌い継がれたのが『コサック民謡』だった。
愚かさ
ピートが『And Quiet Flows the Don』を読んで感じたのは、罪のない民衆の暮らしを破壊しつくす戦争の愚かさと、そんな悲劇を繰り返す人間の愚かさそれはコサックの悲劇だけでなく、ピートが生きた時代の世界でも繰り返されていた。
ピートは飛行機の中で、わずか二十分で『花はどこへ行った』の歌詞を書き上げた。
ベトナム戦争時、反戦歌として多くの人に歌われ、そして今、ウクライナ侵攻への反戦歌として世界中で歌われている。