概要
日野日出志による短編作品で、頭の弱い農夫の若者がある日突然謎の病気に罹ってしまい、体から吹き出てくる様々な色の膿を絵の具のようにして絵を描くというお話。話の舞台はおそらく中世(鎌倉〜室町)の日本の農村であると思われる。
ストーリー
昔、あるところに蔵六という農夫が住んでいた。蔵六は頭が弱く、怠け者で、絵を描くことが好きであった。
春になると、蔵六の顔に不気味な出来物ができる。蔵六の兄・太郎はこれを忌々しがって「怠けておるからそんなできものができるんじゃ」と罵るが、父母は蔵六を憐れみ、「あまりガミガミ叱らないでやってくれ」と蔵六をかばう。
太郎はどうにか両親に、動物たちの死霊で冬でも凍らないといわれ、たれも近づく者はいないという噂のあるねむり沼の近くの森のあばら家に蔵六を済ませることを説得する。
病に苦しむ息子を不憫に思う母は蔵六の住まうあばら家に薬や食べ物、絵を描くための道具を持参し、蔵六のお見舞いに向かうのであった。
やがて、蔵六の病状は日に日に悪化し、体中が様々な色の出来物で覆われ、下腹部が膨らんで、ついには餓鬼草子に出てくる餓鬼のような姿になってしまった。蔵六は苦痛にうめきながらも小刀で膿を絞り出して絵の具にし、夢中になって絵を描くのだった。そうして、膿を出しきったことで一時的に痛みが治まった解放感と、満足のいく絵を描きあげた達成感で、眠りに落ちることも多々あった。
夏になると、蔵六の住まうあばら家は障子を常時開け放すため、膿独特の腐ったような匂いが風に乗って村に届くことはしょっちゅうであった。太郎は母親があばら家に行くことを止め、母は「蔵六が可愛そうだ」と最初は渋るが、太郎の「これ以上あの森に出入りするなら俺たち一家は村から追い出される」と云う説得を受け、泣く泣くこれを承諾する。
秋にはさらに蔵六の症状は悪化し、目も耳も腐り落ちてしまった。太郎の説得を受けた母はもう来なくなってしまったが、蔵六は虫を食べて生き延びていた。そんな中、蔵六はある晩、村人たちに殺害される夢を見た。その村人たちの中には、涙を流しながら蔵六の腹部に竹槍を突き刺す母親もいたのだった。
冬になり、蔵六を殺すことが村の寄り合いで相談された。雪の降りしきるある夜、村人は皆竹槍で武装してあばら家に向かうが、あばら家に蔵六の姿はなく、代わりに様々な色をした甲羅を持つ巨大な亀が赤い涙を流しながら現れた。
そうして、村人たちを見つめながらねむり沼に沈んでいき、そして二度と浮かび上がらなかった。あとには、おびただしい数の絵が残されているだけであった。
登場人物
- 蔵六
ねむり沼の近くの村に住む農夫。小さい頃から頭が弱く、絵を描いたりぼんやり考えに耽ったりしながら暮らしていた。兄・太郎に疎まれている。ある日突然、奇病に襲われる。
- 太郎
蔵六の兄。怠け者の蔵六を疎ましく思い、蔵六のせいで嫁が来ないことを嘆いている。母が蔵六の介護をしていることをよく思っておらず、村の寄り合いでは積極的に蔵六の殺害を主張する。
- 蔵六の父
頭の弱い蔵六を叱っても仕方ないと思っている。村人たちが蔵六を殺しに向かった際には運命を受け入れた様子を見せるが、やはり息子の死には涙を隠せなかった。
- 蔵六の母
奇病にかかった蔵六をいたわり、森のあばら屋に毎日食事と薬を届ける。太郎から蔵六の見舞いに行かないよう説得されたときには「お前は蔵六が可愛そうでないのかい」と涙ながらに太郎をなじる。蔵六が村人たちに殺害されることが決まった際には「なにもしてやれなかった」と後悔していた。
- 村人
庄屋の家に集まり、悪臭を放ち怪物のような外見となった蔵六を殺す相談をする。ある雪の降りしきる日、不気味な仮面をつけて竹槍を持ち、太鼓の音とともに蔵六がいる森に向かう。
- 庄屋
村の長のような役割を担っており、蔵六を殺そうといきり立つ村人たちを「放っておけばいずれ死ぬ」となだめる。だが最後は村人たちの意見をまとめ、蔵六を殺すことに賛同し、案を募る。
「爛れた家」
2004年に日野氏の作品を数本映画化した「日野日出志の怪奇劇場」にて本作も映像化されている。
ただし、題は「爛れた家」と変更されており、副題で「蔵六の奇病より」と触れているのみである。
舞台設定や登場人物も大幅に変更されている。先述のように、設定上は中世の日本の農村が舞台になっていると思われるが、映像化された際には大正から昭和の農村に変更されている。登場人物も、原作では蔵六の兄が登場していたが、妹に変更されており、子供の頃から仲良し兄妹であったという設定になっている。また、その妹に歪んだ恋心を寄せ、蔵六を亡き者にしようとする村長の子供も登場する。原作では蔵六は頭の弱い農夫の青年として描かれたが、映画版では快活で妹思いの優しい青年として描かれている。