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血漿は、1628年にウイリアム・ハーベーによって説明されていたが、1770年頃、ウィリアム・ヘンソンがフィブリノゲンを発見したことにより、研究が加速した。輸血の代替品としての血漿の使用は、1918年3月に英国医学雑誌の通信欄でゴードンR.ウォードによって提案された。やがて粉末の「乾燥プラズマ」が開発され、英国軍や米軍によって第二次世界大戦で初めて使用された。粉末プラズマの入ったガラス瓶に、同じくガラス瓶に入った蒸留水を流し込み、ゴム管と注射針で注入する。約3分で、プラズマはすぐに使用できる状態になり、約4時間新鮮に保たれる。それらの器具一式が一つのセットになっていて、戦場のどこででも輸送でき、いつどこでも輸血することが可能となり[3]、戦場の兵士たちの多くの命を救った[4]。


1960年代まで、日本赤十字社が製造していた血漿(液状)は、防腐剤にチメロサールが使用されていた。1970年2月、血漿を大量に点滴していた患者が有機水銀中毒を発症して死亡する事例が発生。血漿に含まれる水銀の量は1万分の1と微量であり一般患者には問題のない量とされたが、当年度にチメロサールを使用した血漿は回収が行われて市場から姿を消した

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