国鉄が設計・新製した交流電気機関車、1968年から70年まで1次型、73年に2次型が製造された。
いわゆる1968年のヨン・サン・トウダイヤ改正で奥羽本線山形-福島間が交流電化され、福島-米沢間や仙山線の作並駅以西の直流電化区間も交流に変更された。しかし急勾配である福島-米沢間の板谷峠区間ではED78の重連で牽引は可能であるが長時間回生ブレーキ時のモーターの熱容量が不足するため、その補機として主電動機熱容量超過回避のために作られた回生ブレーキインバーターである事を重視して製造された「簡易型単目的補機」であるF型交流電機である。
出力2700KWというカタログデーターから「定格出力が大きい」ので安易に「最強」と思う方も多いが、モーター回路構成は直流機の抵抗制御部分をサイリスタに置き換えただけであり、モーター制御方式は交流機の特徴である永久並列接続による定電圧制御とは無縁で、直並列のみの組み合わせのため空転が安易に発生し粘着係数上はED78を大幅に下回る直流F機並みの牽引能力しか持たず(定格牽引力に至る前に空転して走行不能になる)、列車牽引時はED75やED78の牽引性能にはまるで及ばなく、もし東北本線に降ろし、ED75 1000重連の高速貨運用を当形式重連で代替させようとしても牽引定数も交流D級機を大幅に下回り、高速対応である弱め界磁を装備してないため高速領域もまるで伸びず、とても使用には堪えない。あくまでも板谷峠の補機運用のみを重視して製造された単目的機である。
「津軽」に代表される急行列車や普通列車・貨物列車のほか、寝台特急「あけぼの」の牽引など広汎に使用されたほか、気動車特急時代の「つばさ」で補機を務めた。…だが20系時代の「あけぼの」で、客車に防火対策と汚物処理装置を搭載し重量増加した途端空転起こして、その結果粘着特性の良いED78を2両増備する羽目になったとはまさに看板に偽りありの「ハリボテ」の称号こそ当機種にふさわしい。
国鉄分割民営化に際してはED78とともにJR東日本に承継されたが、客車夜行列車や貨物列車の削減・廃止で本来の運用が減り、末期の板谷峠越え普通列車運用では、わずか2・3両ほどの短編成客車列車を本形式が牽引する姿が見られた。
1992年の山形新幹線開業後、この区間の客車列車や貨物列車は全て廃止され、役目を失った本形式は板谷峠用に特化した性能が災いして他の路線への転用も行われず1993年に全車が除籍され形式消滅した。
1号機がJR東日本新幹線車両センター(宮城県宮城郡利府町)敷地内にて静態保存されている。
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ED75 ED77 ED78 EF70 奥羽本線 板谷峠 あけぼの
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