夏目時行
なつめときゆき
来歴
画業開始以前の経歴は不明。
1988年12月、児童書出版社『偕成社』の児童図書シリーズ『創作こどもクラブ』で『ゆかりとひろし 日記はひみつ』(文:浜野卓也)の作画担当を務める。
1990年6月、同シリーズで『オレがいっぱい大作戦』(文:浅川じゅん)の作画担当を務める一方、総合出版社『小学館』に持ち込んだ短編漫画『ぶっとび!ニンニン』で第19回藤子不二雄賞(現・小学館新人コミック大賞 児童漫画部門)佳作を受賞し、同年同月の児童漫画雑誌『月刊コロコロコミック 夏休み増刊号』への掲載を契機に漫画家デビューする。
1991年4月、『月刊コロコロコミック 春休み増刊号』で読切漫画『はしれ!迅風丸』を経て季刊誌から本誌に活動の場を移し、同年6月号で自身初の連載作品となる『ニンジャBOY あばれ!忍丸』(原作:富田祐弘、企画構成:レッドカンパニー)を開始する。連載開始を契機に「菊池モモタロー」のペンネームを名乗るが、1992年3月号の連載終了を以って小学館を去ると同時にペンネームを本名に戻す。この連載期間を挟むように、サブカルチャー情報誌出版社『ラポート』で奥田誠治によるOVA作品『ドリームハンター麗夢』のアンソロジーコミック『ぱあてぃ おぶ 麗夢』『ふぇすた おぶ 麗夢』に寄稿する。
1993年6月、教育書出版社『学習研究社』(現・学研ホールディングス)の漫画雑誌『月刊コミックNORA』で『リリス』の不定期連載を開始する傍らでイラストレーター業を併行し、同年11月に再び偕成社の依頼を受けて『コピーがいっぱい大作戦』(文:浅川じゅん)の作画担当を務める。
1994年6月、学研の隔週刊漫画雑誌『コミックガイズ』で『マッドクィーン麗華』の連載を開始し、同年9月に秋田書店の『コミック版 学校の怪談1 戦慄のトイレ恐怖体験集』の一編『契約の行方』を執筆するが、コミックガイズでの連載終了を最後に執筆活動の形跡そのものが途絶える。
特徴
『リリス』以前の執筆作品は熱血で向こう見ずな腕白少年を主人公に据える傾向が強く、コロコロコミック時代の忍者作品三部作はその代表例である。また、この三部作のうち『あばれ!忍丸』では雑誌購読層の性質上から「屁を忍法に利用する」「堂々と陰部を晒す」「底無しの資質に振り回される」など、腕白盛りの元気少年振りをギャグで誇張した描写が随所に見られる。
執筆作品一覧
未刊行作品については誌面掲載年に読み替えの事。
夏目時行名義
偕成社
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1988・12 | ゆかりとひろし 日記はひみつ | 創作こどもクラブ | 1巻 |
1990・6 | オレがいっぱい大作戦 | 創作こどもクラブ | 1巻 |
1992・4 | ゆかりとひろし 恋はおまじない | 創作こどもクラブ | 1巻 |
1993・11 | コピーがいっぱい大作戦 | 創作こどもクラブ | 1巻 |
小学館
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1988・12 | ぶっとび!ニンニン | 月刊コロコロコミック 夏休み増刊号 | 未刊行 |
1991・3 | はしれ!迅風丸 | 月刊コロコロコミック 春休み増刊号 | 未刊行 |
ラポート
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
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1991・1 | ぱあてぃ おぶ 麗夢 | ドリームハンター麗夢アンソロジー | 1巻 |
1992・8 | ふぇすた おぶ 麗夢 | ドリームハンター麗夢アンソロジー | 1巻 |
学研
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1993・6 | リリス | 月刊コミックNORA | 2巻 |
1994・6 | マッドクィーン麗華 | コミックガイズ | 2巻 |
秋田書店
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1994・9 | 契約の行方 | コミック版 学校の怪談1 戦慄のトイレ恐怖体験集 | 1巻 |
菊池モモタロー名義
小学館
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1991・6 | ニンジャBOY あばれ!忍丸 | 月刊コロコロコミック | 2巻 |