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概要
アメリカ海軍の戦艦・ノースカロライナ級の2番艦。艦名はワシントン州に由来する。
1942年7月には北極海でイギリス海軍との合同作戦によりPQ17船団の護衛支援にあたるが戦艦ティルピッツの出撃を恐れたイギリス側の判断により船団の遥か後方の水域を航行した。結果的に船団はドイツ軍の攻撃で壊滅した。
11月の第三次ソロモン海戦では名将ウィリス・A・リー提督の旗艦として戦艦霧島・駆逐艦綾波を葬ったことで知られる。
高速戦艦として空母部隊の護衛として、艦砲射撃部隊として太平洋戦争を活躍したのち、1945年の日本降伏調印式に参加。1947年に予備役入り、そのまま1960年に退役、スクラップとなった。現役期間は6年ほどと非常に短かった。
第三次ソロモン海戦では僚艦のサウスダコタが戦闘不能になり味方の駆逐艦部隊も後方に留まる中、近藤信竹中将の指揮する日本艦隊に対して一隻で大立ち回りを演じ、霧島・高雄・愛宕・長良・朝雲・五月雨・電・初雪らの猛砲撃と雷撃をほぼ回避、逆に新兵器のSG捜索レーダー(PPI式スコープ)やmk13射撃管制レーダー(Bスコープ式)を駆使して戦艦霧島を撃沈したという逸話を持つ。
数度に渡ってワシントンへ向けて発射された計三十本以上の酸素魚雷は全て外れるか手前で自爆し、損害は駆逐艦の主砲弾と思われる12.7cm砲弾1発が艦橋に命中したのみだったという。
その後もマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦などに参加、僚艦が神風攻撃により次々と甚大な被害を負う中ほぼ無傷で戦い続け、太平洋戦争の全期間を通じて戦闘による戦死者数0を記録した。
その一方で戦闘と関係ない所では機関の不調に悩ませたり、座乗していた大西洋艦隊司令が時化で転落死したり、戦艦インディアナと衝突事故を起こして数人の死者を出したり、第三次ソロモン海戦後にサウスダコタ艦長の逆恨みを買い新聞にデマ記事を書かれたりと武運以外の運には恵まれない悪運艦であった。
サウスダコタとの確執
戦艦ワシントンは第3次ソロモン海戦の折、戦艦サウスダコタの窮地を救った。
だが、話はまだ終わっていなかった。
帰国したワシントンの乗員を待っていたのは称賛の声ではなく、侮蔑の目だったのだ。
何故なら、「ワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げたのでは?」という噂が広まっていたから。
更にそれを煽るかのようにサウスダコタの艦長はサンデー・イブニング・ポスト誌の取材でこう証言した。
戦艦X(サウスダコタ)が霧島を撃沈し、ワシントンは逃げた!
この出来事をきっかけに歓楽街で両艦の乗員が乱闘を起こし、留置場が満員になる程の騒ぎに発展した。
この禍根は戦後まで続いたという。
このようなことになった原因として
- 戦闘は第3次ソロモン海戦二日目の夜戦だった
- サウスダコタは駆逐艦綾波&浦波の攻撃と人的ミスでレーダーや通信機器を含む電気系統がダウンしていた
- 連絡が取れないのでワシントンとサウスダコタは互いの位置を把握出来なかった
- ワシントンのレーダーは既に霧島を補足していたが、所在不明のサウスダコタである可能性を考えて攻撃をしなかった
- ワシントンが攻撃可能になったのは霧島が探照灯を照射しているのを確認してからで、その時既にサウスダコタは撤退を開始していた
- サウスダコタのギャッチ艦長が雑誌でサウスダコタの活躍を誇張した
という点が挙げられる。
いずれにせよ、ワシントンにはとんだとばっちりである。
ワシントンの乗組員はサウスダコタの乗組員を「呆れた糞ったれ」と呼んだそうである。
擬人化
『艦隊これくしょん』の絡みで擬人化も増えつつある。
私はノースカロライナ級戦艦ワシントン。もし自由が脅かされることがあれば、私は最前線に立たせてもらおう。
CXAM対空レーダー状の髪飾りを付けている。艤装部分にはCXAM対空レーダー、SG捜索レーダー、mk13射撃管制レーダーが確認できる。
関連タグ
ワシントン(無印)