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山岡鉄舟の編集履歴

2016-04-22 17:12:18 バージョン

山岡鉄舟

やまおかてっしゅう

幕末の剣客にして思想家。「幕末の三舟」のひとり。旧幕臣でありながら明治政府に重用された。

生涯

天保7年(1836年)6月10日、江戸本所に蔵奉行・木呂子村の知行主の四男(通称:鉄太郎)として生まれる。父は小野朝右衛門高福、母は塚原磯と言い、母方の祖先に塚原卜伝がいる。幼少期から剣術を好み、神陰流・樫原流槍術・中西派一刀流・北辰一刀流と言った流派で学ぶ。


父の仕事で飛騨高山へ赴いたり、書家・岩佐一亭に入門して15歳で弘法大師流入木道52世を受け継ぎ、一楽斎と号するなど文化面でも多芸多才だった。父の死後に江戸に帰った後は高橋泥舟の姉妹である英子と結婚して婿養子になり、山岡姓を名乗る。

清河八郎ら15人と尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成したり、幕府の浪士組(後の新撰組)に加入するも清川の件で謹慎処分を受けるなど順風満帆とは言えない時期もあったとされる。


それから5年後の慶応4年(1868年)、精鋭隊歩兵頭格となった鉄舟に転機が訪れる。

将軍徳川慶喜は薩長の倒幕を回避すべく大政奉還を成したが、薩長は戊辰戦争を起こし、幕府軍は敗退。勝海舟によって和睦の交渉が始まり、薩長との会談に先立ち使者を送ることになったが、使者になるはずだった泥舟が徳川慶喜の傍を離れられなくなったため、鉄舟が選ばれた。困窮していた鉄舟は大小(日本刀)を友達の所から借り受け、薩長の兵たちを前にして「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と叫んで堂々と歩いた。

同年3月9日、西郷隆盛に面会した鉄舟は、

「1・江戸城を明け渡す。2・城中の兵を向島に移させる。3・兵器をすべて差し出す。4・軍艦をすべて引き渡す。5・将軍慶喜公の身柄は備前藩に引き渡す」

の五か条を西郷から突き付けられるが、恐れること無く反論した。特に最後の項目である慶喜の扱いが、幕臣として腹に据えかねたのだった。

そして、

 「島津のお殿様が将軍様と同じお立場ならば、貴男は納得できるのですか!」

と西郷を一喝。これに西郷は鉄舟の人柄に感じ入り、慶喜の身柄の保証を約束。鉄舟の事前交渉の成功はその後の西郷と勝の会談、ひいては江戸城無血開城へとつながる。


維新後は将軍と共に駿府へ行き、その際に次郎長親分と仲良くなったり、名産品であるお茶の栽培を助言するなどバイタリティーを如何なく発揮。 明治4年(1871年)、廃藩置県に伴い新政府に出仕。翌年には10年間の約束で明治天皇の侍従になるなど、宮中でも重用された。


明治18年(1885年)には一刀正伝無刀流を開いて剣客としても高位を極めるが、3年後の明治21年(1888年)7月19日9時15分に死去。皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命、死因は胃癌だった。


逸話

  • 剣や書だけでなく、にも優れていた。17歳の頃から始め、後年には印可を頂くほどの求道者であった。現在の東京都台東区谷中五丁目にある、日本の禅宗の一つ臨済宗寺院である全生庵(ぜんしょうあん)は、彼が開基した寺院である。
  • 全生庵には、持病の悪化によって総理大臣職を退いてしまった安倍晋三も精神修養のために通っており、作家としても有名な全生庵の住職である平井正修氏によれば、安倍首相は現在もを続けているという。
  • 泥酔した明治天皇が相撲を取ろうと絡んできたが難なくかわし、陛下は倒れてしまったエピソードがある(一説には投げ飛ばした、抑え込んで説教したなど様々)。それでも明治天皇からは「自分が良くないのだから」と一切のお咎めはなかった。
  • さらには女官の部屋に夜這いしに向かう明治天皇を廊下で待ち伏せて抑え込んだりもした。
  • 一方で飲み食いすることが大好きという俗っぽい性格をしていた。あんパンをいつも食べていたり、明治天皇から手土産の相談を受けたのが理由で山本海苔店による味付け海苔が創案されたりと逸話に事欠かない。酒豪でもあった。
  • 『割烹旅館二葉』と親交が深く、鉄舟に「調理に禅味を盛れ=俗気を離れた禅の境地を食事に盛り込んで御覧なさい」と示唆された当時の主人が考案したのが、今に伝わる「忠七めし」である。わさびを剣、海苔を禅、柚子を書と鉄舟が極めた3つの道になぞらえたお茶漬け形式の食事で、今も供されている。

関連タグ

日本史 江戸時代 幕末 明治時代

徳川慶喜 勝海舟 西郷隆盛 明治天皇 清水次郎長

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