概要
SBDは「Scout Bomber Douglas」の略で、「ダグラス社製偵察爆撃機」という意味。
愛称のドーントレスは「恐れ知らず」「勇敢な」という意味である。
有名なものはSBD-3と呼ばれる型式で、同時代の艦上爆撃機である九九式艦上爆撃機と比べて多くの面で勝る名機として完成し、太平洋戦争初期において最も多くの日本軍艦艇を撃沈した存在である。
急降下爆撃機という所属カテゴリそのものが背負う鈍足という弱点を除けば、現場での評価も非常に高く、「SBD」の頭文字を捩って「Slow But Deadly(鈍重だが致命的)」と呼ばれた。
後継機のSB2Cヘルダイバーが「Son of a Bitch 2nd. Class(二流のクソッタレ)」と呼ばれていたのとは対照的である。
陸軍航空軍向けに空母用装備を取り外して陸上専用にしたものはA-24「バンシー」攻撃機として多数生産。海軍のSBDが退役後も陸軍から独立したアメリカ空軍で「F-24戦闘機」として暫く運用された。
外見的には、ダイブブレーキを兼ねた穴開き式フラップが本機のトレードマークと言える。
主翼後部のフラップを上下に開いて急降下する本機の姿は非常に特徴的で、映像作品でもたびたび描かれている。
真珠湾攻撃や太平洋戦線初期の苦しい戦況、ミッドウェー海戦での戦況の大逆転劇の主役、、そして勝利への階段を一気に駆け上り始めるまでを見届けた歴史の立会者でもあった。
余談
日本軍のエースパイロットとして知られる坂井三郎に重傷を負わせた機体でもある。
本機に限らず爆撃機は後部機銃を備えたものが多いが、坂井は後部機銃を持たない戦闘機F4Fと誤認、不用意に後方に接近してしまい、後部機銃を受けて片目をほぼ失明する重傷を負っている。
機種に12.7mm×2となかなかの武装をしており、急降下爆撃に求められた運動性は戦闘機にも引けを取らず、名前の通り偵察機、要撃機として使用されたほか、少なからず日本海軍の機体を撃墜している。