略歴
1963年に円谷プロダクションへ入社。
企画文芸部の主任としてて「ウルトラQ」「ウルトラマン」「快獣ブースカ」「ウルトラセブン」など円谷プロの初期に、特撮テレビ番組の企画立案と脚本を手掛ける。また今でいう「シリーズ構成」の役割も担っていた。
「怪奇大作戦」「マイティジャック」を手がけたあと、1969年に円谷プロを退社、沖縄県に帰郷し活動を続けていたが、1976年2月23日、自宅で足を滑らせ転落、3日後に脳挫傷にて死去した。37歳の若すぎる死であった。
2016年「ウルトラマン」シリーズ放映開始50年を記念して、金城の名を冠した「金城哲夫のふるさと沖縄・南風原町脚本賞」「円谷プロダクションクリエイティブアワード金城哲夫賞」と、ふたつの脚本賞が創設された。